本研究は、1920-1950年代における中央ユーラシアの政治的変動の過程で排除されたテュルク系ディアスポラ、具体的には(A)ロシア革命後トルコ、ヨーロッパに逃れたトルキスタン人亡命者、(B)第2次世界大戦前・戦中において日本、満洲に滞在したタタール人、ウイグル人、(C)1950年代前半に新疆からインドを経てトルコへ移住したカザフ難民を取り上げ、一国史、一民族史の枠組みを超えた彼らの多地域・多言語的ネットワークの解明を目指すものである。 (A)2018年度は、パリを拠点とした指導的な亡命者ムスタファ・チョカイのアーカイブを訪れ、カーブルより現地の動静をチョカイに報告したマフムード・アイカルルという人物の書簡を集中的に閲覧した。これらの書簡には日本人外交官・駐在武官を指すと思われる隠語への言及が多々見られ、トルキスタン人亡命者への日本外交の関与の一端を示すものとして重要である。 (B)怪我のため2017年度に断念したフィンランド出張を実施し、ヘルシンキのタタール人コミュニティの中核的人物たちと意見を交換した。1935-1945年間に奉天で発行されたタタール語新聞『民族の旗』は彼らにとっても有益な情報源であり、将来的な研究協力に向けた関係を構築できた。また同紙のうち、国内で唯一まとまった所蔵がある島根県立大学メディアセンターに所蔵されていない初期の約50号分を大英図書館にて閲覧した。 (C)アメリカに出張し、イェール大学図書館、国立公文書記録管理局において、カシミールへ逃れた新疆カザフ難民に対するアメリカの支援に関する文書資料を収集した。カザフ人に先行してカシミールへ逃れていたウイグル人難民への支援がカザフ難民への支援のモデルとなったことなどを明らかとしたほか、2018年3月に実施した国際ワークショップの英文プロシーディングスを共編者として刊行した。
|