日露戦争前後に日本に受け入れられ始めたアナキズム思想は植民地朝鮮にも流入した。当時、朝鮮のアナキズムは大杉栄の著作から多くの影響を受けた。特に大杉栄が翻訳したクロポトキンの『相互扶助論-進化の一要素』(春陽堂、1917)と彼の『クロポトキン研究』(アルス、1920)は朝鮮のアナキズム及び初期社会主義の思想的基盤を形成するうえで大きな影響を及ぼした。 日本と朝鮮のアナキズムは、クロポトキンとその媒介者としての大杉栄という関連にもかかわらず、違いが確認できる。大杉栄がクロポトキンのAnarcho-communismeを批判し、Anarcho-syndicalismeを主張し、思想の変化を見せた一方、朝鮮の場合、大杉栄が媒介になったにもかかわらず、クロポトキンを主な潮流として受け入れたということだ。 このような傾向がよく現れた作品が朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF)の代表の劇作家宋影(ソンヨン)の<蚊が無くなるわけ>(『芸術運動』、1927.11)と<正義とカンバス>(『朝鮮文芸』、1929.5)だ。これまでこれらの作品は社会主義思想を基盤に創作された作品として知られてきた。しかし、本研究を通じてこれらの作品はアナキズムを基盤に創作された作品であることが確認された。また、宋影は在日朝鮮人思想団体黑濤会(1921)の後身である北星会(1923)のソウル支部の北風会(1924)と関わった人物だったことを確認した。社会主義運動を標榜したこの団体は、その思想的起源にアナキズムを収容していた。 したがって、本研究はクロポトキンのアナキズムが日本に、そして大杉栄を経て朝鮮に流れ込む過程やそのような過程でどのような差が生じたかを、宋影の作品を通じて確認した。このような研究結果は、以後日韓比較文学史を再解釈する重要な観点になることを期待する。
|