今年度は、前年度までの研究成果を総括すべく、中上健次の「紀州サーガ」が解体・変容してゆく中期から後期に相当する小説群に主に焦点を当てた。 今年度の実績は、まずは昨年度まで研究対象としてきた『化粧』の作品論を公にした(『国語と国文学』査読付、2020年8月)。従来の研究では作家の部落問題に関する意識はその生まれの下に読み解かれてきたが、本論ではそれが小説を書くことを通じて事後的に立ち現れることを作品の叙述に即して証明した。今年度はこうした成果を土台に、以下の二つの方向性からそれが解体・変容してゆく様を考察した。 第一に、作家の故郷を舞台にした『千年の愉楽』を取り上げ、オリュウノオバという老婆の記憶によって作り出される「路地」の表象と、同時期に改善事業が進められていた郷里の実態との相違に焦点を当てた。オバの存在は、謂わば『化粧』以来構築されてきた故郷像と現実の郷里との齟齬から生み出されたものである。執筆者は彼女が作り出す路地の仕組みを叙述に即して明らかにするとともに、彼女の権威が撹乱されることで、それが自壊してゆく様までもが作中に書き記されていることを明らかにした。なお、その成果は、日本近代文学会関西支部にて口頭発表を行なった(関西支部秋季大会、2019年11月)。 第二に、中上がサブカルチャーへと接近した『異族』『南回帰船』という二作を分析した論考を公にした(共著『マンガ/漫画/MANGA』、神戸大学出版会、2020年3月)。『化粧』が「土地」や「差別」の主題が明瞭な形を取って浮上し始めるその起源に位置するとすれば、両作はいずれも作家において同様の問題がもはや終着を迎えた地点に定位しうる。執筆者はこれまで傍系として捉えられてきたその両作を中上の活動の主軸に絡めて理解するとともに、アジアとの繋がりや反米主義的なイデオロギーといった新たな傾向が看取されることを明らかにした。
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