研究課題/領域番号 |
17J00686
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研究機関 | 成城大学 |
研究代表者 |
横道 仁志 成城大学, 文学研究科, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2017-04-26 – 2020-03-31
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キーワード | 神学 / 聖書解釈 / キリスト教哲学 / ボナヴェントゥラ / 権威 / 同意 / 肉 / 儀礼 |
研究実績の概要 |
本研究の目標は、ボナヴェントゥラに特有の美学思想のありようを解き明かして、「キリスト教美学」の可能性を探ることにある。初年度は、ボナヴェントゥラが神学をどのような人間活動として構想しているのかを検証するべく、彼の福音書註解の読解に取り組んだ。 文献を読み進める中で発見したのは、ボナヴェントゥラが神学の存立根拠を哲学に求めているという事実である。彼の定義するかぎり、神学とは、聖書に哲学の方法を適用する行為に他ならない。ということは、哲学が存在しないなら、聖書と神学はもはや区別できない。この観点からすると、「神学のはしため」という言葉を、ボナヴェントゥラは哲学を軽蔑する意味で使用しているのではない。むしろ「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」という福音書のマリアの言葉と、ボナヴェントゥラの説明とを考え合わせるなら、彼は哲学を神学の「肉」として構想しているという推定が導き出される。もしマリアが存在しなかったならキリストの受肉が起こらなかったのと同様に、もし哲学が存在しないなら神学は実現しない。この意味で、哲学は、たしかに神学の下位に位置づけられるものの、同時に下位から神学を下支えするのである。 上記の研究経過から、次の結論が得られる。ボナヴェントゥラが哲学を(つまり、理性能力の使用を)「肉」という概念のもとに構想しているのなら、彼の言説を学問的な観点から考察するだけでは、その全容を解明することはできない。彼の神学体系は肉を管理するための儀礼という観点から再考されなければならないのである。この観点に立つと、ボナヴェントゥラの美学理論は一種の統治の理論として読み直せる。彼の思想のなかでは、「美」の対立概念は「醜」であるというよりも、むしろ「罰」なのである。以上の考察については、美学会西部会第315回研究発表会にて発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初の研究計画では、ボナヴェントゥラの福音書註解を網羅的に調査して、彼の聖書解釈の姿勢を析出するまでが、本年度の目標だった。しかし、上記の研究経過から、研究方針そのものを見直す必要が出たので、研究対象についても、ボナヴェントゥラの聖書理論から彼の儀礼理論へと変更しなくてはならなかった。以上の理由から、当初の目標を満足に達成していないという意味で、研究の進捗は遅れている。 ただし、本研究の最終目標はボナヴェントゥラに固有の美学の解明にあるので、この観点から考えるなら、より直接的に美の問題に踏み込む主題領域を開拓したという意味で、むしろ研究は前進しているとも解釈できる。
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今後の研究の推進方策 |
肉と儀礼の問題を究明するべく、次年度以降では、ボナヴェントゥラの聖体論の調査に取り組む。じっさいにも、ボナヴェントゥラはあらゆる典礼の起源の位置に聖体を置く。それと同時に、聖体の問題は「霊的美」の問題と強く関係しているという理由で、美学の観点からも大いに重要である。現時点までの調査で判明している事実として、フランチェスコは、フランシスコ会の典礼生活を規定するにあたって、聖体の問題をいわば隠れた中心に位置づけていて、ボナヴェントゥラの聖体論はこの典礼観の影響下で成立している。したがって、聖体の研究は、典礼の問題を接点にして、霊的美の問題からフランシスコ会の会則の問題にまで視野を拡大することにつながると、現時点では予測している。
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