研究課題/領域番号 |
17J03207
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
山下 泰幸 京都大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2017-04-26 – 2020-03-31
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キーワード | イスラーム / インターセクショナリティ / 中流階層 / ポストコロニアル研究 / 宗教 / レイシズム / イスラモフォビア / オリエンタリズム |
研究実績の概要 |
本年度はまず4月に、昨年度末から滞在中であったフランスにおいて現地調査を継続し、パリの大モスクに関連する非営利団体において参与観察を行った。 またこれと並行して、昨年度1月に『ソシオロジ』に投稿した論文に対して寄せられた査読コメントを受けて、その一部を修正した。この論文はパリ在住の中流階層のイスラーム教徒が信仰実践を回避することをどのように正当化しているかについて扱ったものであり、修正完了後の本論文は、本年度7月に出版された『ソシオロジ』63巻1号に掲載された。 その後、日本に帰国した後に、上述の論文および今後の研究計画を20ページほどにまとたものをフランス語で執筆して、問題関心を共有するフランスの社会学者から研究に関するアドバイスを受けた。 また、8月に上海で実施された、カルチュラル・スタディーズの世界大会のプレ・コンファレンスにて、他の日本人研究者らとともにセッションを組み、英語による発表を行った。このセッションは西洋中心主義的な知の生産を問い直すことを目指すものであり、世俗主義を前提としないようなイスラミック・フェミニズムによる女性の解放の多元性に関する発表を行った。 本年度1月からは、以上の成果を研究論文にまとめるために、フランスのイスラーム教徒の間の多様性と(階層的)断絶に注目する論文の執筆を開始した。ここで言う「断絶」は、実体的な社会経済的的概念として階層的観点から分析されるのではなく、社会・経済的に成功するエリートのイスラーム教徒が、社会的に構築された「郊外の貧しいイスラーム教徒」というステレオタイプによって捉えられがちな「より疎外された」人びとについて、いかに語るかという点から分析される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究課題を遂行する上で不可欠であるデータの収集のために、昨年度から本年度にかけて、複数回にわたるフランスでの現地調査を行ってきた。それにより、パリ在住の中流階層の多くのイスラーム教徒たちとラポールを形成しつつ参与観察を行ってきた。これは非常に順調に進展している。 他方で論文の投稿のペースに関しては、目下のところ当初の目標よりはやや遅れている。しかしながら、第三年度に複数投稿する予定で執筆を順調に進めており、第二年度はフィールドワークと先行研究のインプットの時期として位置付けている。 学会発表に関しては、現代フランスのイスラームとジェンダーを主題とした発表を行う準備を進め、8月に上海で実施された、2年に一度開催されるカルチュラル・スタディーズの世界大会のプレ・コンファレンスにて、多文化主義を研究する京都大学の鈴木赳夫氏らとともにセッションを組み、英語による発表を行った。このセッションは西洋中心主義的な知の生産を問い直すことを目指すものであり、世俗主義を前提としないようなイスラミック・フェミニズムによる女性の解放の多元性に関する発表を行った。本年度執筆した論文においてもカルチュラル・スタディーズの影響を受けたハイブリティ論を理論的な枠組みとして用いるなど、昨年度からカルチュラル・スタディーズの知見に関心を向けていることもあり、この大会への参加は非常に実りあるものであった。
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今後の研究の推進方策 |
第三年度においては、フランスに滞在しつつも、論文執筆のペースを上げ、複数の論文を完成させる予定である。本年度1月からは、フランスのイスラーム教徒の間の多様性と(階層的)断絶に注目する論文の執筆を開始した。ただしここで言う「断絶」は、実体的な社会経済的的概念として階層的観点から分析されるのではない。そうではなく、社会・経済的に成功するエリートのイスラーム教徒が、社会的に構築された「郊外の貧しいイスラーム教徒」というステレオタイプによって語られがちな「より疎外された」人びとについて、いかに語るかという点から分析される。西洋的主体の確立のために東洋が構築されたというサイードのオリエンタリズム論に立脚すると、マジョリティのフランス人たちは自らのアイデンティティを確立する上で、その対照的な「社会的統合に失敗した郊外のイスラーム教徒たち」というステレオタイプを必要としてきたと言える。こういった着想は、ここ数年で増えてきた、イスラーム嫌悪およびゲットーとしての郊外のイメージが、マスメディアおよび政治的言説によっていかに社会的に構築されているかを明らかにする研究からも見てとることができる。しかしながら本論文ではそのような視点をさらに一歩推し進め、ムスリムの間ですら、そういった「他者」の参照およびステレオタイプの内面化が行われているのではないかという視座に立つ。こうした視座は、非ムスリムのマジョリティによる「郊外のムスリム」に関する語りと、エリートのムスリムによる「郊外のムスリム」に関する語りとでは、どのような共通点と差異があるのかについて分析することで可能となる。
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