研究課題/領域番号 |
17J05409
|
研究機関 | 中央大学 |
研究代表者 |
海野 典子 中央大学, 文学部, 特別研究員(PD)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-26 – 2020-03-31
|
キーワード | 中国ムスリム / 中央アジア / 知識人 / 歴史認識 / 地理認識 / ウイグル / ドゥンガン |
研究実績の概要 |
採用2年目となる2018年度は、前年度に整理した中国領出身のムスリム知識人の思想的背景やネットワークの実態を踏まえながら、彼らの歴史・地理認識の変容過程を調べた。具体的には、ドゥンガン知識人がチャガタイ語で書いた歴史書『トゥンガンの歴史』、ウイグル人知識人がチャガタイ語で書いた『ハミード史』『タランチの歴史』などの史料を精読することによって、19世紀後半と20世紀前半における、中国領出身ムスリム知識人の歴史・地理認識の特徴、及びその違いを考察した。また、地域・言語・エスニシティ・宗派を超えたムスリムの知的交流や、当時のユーラシアの国際情勢に注目して、19世紀後半から20世紀前半に彼らの歴史・地理認識が変容した理由・経緯を検討した。その結果、以下2点が明らかになった。 第一に、中国領出身のムスリム知識人は直接の面識があったわけではなかったが、それぞれの著作や民間伝承を相互に参照し合っていた。たとえば、ドゥンガン人は、テュルク系ムスリムの民間伝承を「史実」として引用して、ドゥンガン人はウイグル人の末裔であると主張した。一方のテュルク系ムスリムも、17世紀以降中国領内の回民のあいだで語られてきた回民の起源説話を引用して、回民とテュルク系ムスリムの関係を論じた。第二に、1910~20年代に中国領出身のムスリム知識人が書いた歴史・地理書の多くは、1917年のロシア革命や1920年代初めに中央アジアで行われた民族共和国境界画定工作を背景として、ドゥンガン人とウイグル人の民族的共通性や差異、ドゥンガン人を東トルキスタン出身者と見なすか中国内地出身者と見なすか否かについて議論を展開していた。つまり、中国領出身のムスリム知識人は、ロシア(後にソ連)領においてウイグル人としての政治的権利を主張するために、ドゥンガン人とウイグル人の歴史・地理的共通性を示そうとしたのだと考えられる。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2018年度は、資料収集・文献精読を進めると同時に、研究成果を国内外の学会・研究会などで報告することにも努めた)。また、中国ムスリムの民間伝承に見る皇帝観、清末北京のムスリムとオスマン帝国やロシア帝国のムスリムの交流、2018年12月の河南省で行った調査のフィールドノートに関する論考を、それぞれ中国語・トルコ語・日本語で発表することができた。ただし、ライフイベントによる研究中断のために、十分に読み込めていない史料も少なくない。また、本来は新疆やカザフスタンに長期間滞在して研究を進めるはずであったが、海外情勢の変化があったため、在外研究先を台湾(国立政治大学)に変更することになった。
|
今後の研究の推進方策 |
2019年度は、台湾やウズベキスタンを拠点として追加の文献調査やフィールドワークを実施し、さらなる文献精読を重ねることにより、中国領出身のムスリム知識人の歴史・地理認識の変化が、彼らの関係や自己認識、及び近代ユーラシア情勢に与えた影響を考察する。 具体的には、中国領出身のムスリム知識人の歴史・地理認識の変化が、中央アジアの社会や民族間関係に及ぼしたインパクトを調べる。特に、1920年代のソ連領中央アジアにおける民族境界画定工作におけるウイグル人やドゥンガン人の位置づけに、彼ら自身の自己認識や歴史・地理認識がどのように反映されていたのかを検討する。また、現代中央アジアで、20世紀前半の中央アジアで活躍していた中国領出身のムスリム知識人の子孫にインタビュー調査を実施する。これらの方策によって、19世紀後半から20世紀前半の中国領出身のムスリム知識人の活動や歴史・地理認識の社会・政治・文化的意義を、総合的に解明する。
|