アッシリア帝国期は、書記と国家が最も密接な関係を築き上げた時代である。書記は彼らの高度な学識や技術を帝国に提供することで、帝国による統治、政策決定、支配を支えた。また彼らは王族の心身の健康も維持し、学識の伝統のための写本を作成した。これらの見返りとして、彼らは宮廷の援助を得ていた。このような立場を手に入れるため、書記・学識者は彼らの家系をバックグランドとし、王への忠誠心や彼らの学識を王に提示することで激しい競争を行った。書記・学識者の有力家系について調査を行ったところ、主に11の家系を確認することが出来た。時代的には、前2千年紀の中アッシリア時代にまで辿ることのできる家系も存在した。地理的には、アッシリアが帝国化する以前の首都であり帝国化後も重要都市であり続けたアッシュル市を出自とする家系が多かった。アッシリア帝国の首都の移転に伴い、本拠地を首都へ移した家系もあった。 新バビロニア帝国時代には、神殿や親族経営のビジネスを行う家族のために実務的文書を残した事務官的書記が知られている。帝国運営や王族に関わった書記については、王宮文書が見つかっていないためその実態についてはあまり分かっていない。神殿からは書記を含む学識者が残した文書群が見つかっており、書記・学識者の有力家系が存在したことが伺える。しかしアッシリア帝国で活躍した家系と同じ家系は確認できなかった。おそらくアッシリアの書記・学識有力家系は、アッシリア帝国滅亡に伴い失われたと考えられる。 アケメネス朝ペルシアにおいては、楔形文字アッカド語を使用する書記の数や、彼らの書記文化が縮小していった。それにも関わらず、この時代にも書記を含む学識者が残した伝統的な学識等に関する文書群が神殿から見つかっている。これらの文書群から、有力家系の数は新バビロニア帝国期よりも増え、また一部の家系は新バビロニア帝国期から続いていることが分かった。
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