研究課題/領域番号 |
17J08870
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
稲垣 健太郎 東京大学, 総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2017-04-26 – 2020-03-31
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キーワード | ジョン・セルデン / 聖書解釈 / 文献学 / ヘブライ人の共和国 / 東洋学 / 文芸的共和国 |
研究実績の概要 |
本年度は、1. 昨年度に引き続き、フーゴー・グロティウスおよびジョン・セルデンの聖書解釈と国家・教会関係の連関を明らかにすること、ならびに2. 初期近代におけるヘブライ語やアラビア語、シリア語といった東洋諸言語研究につき、特にセルデンが参照する東洋諸語訳の聖書並びに教会史に関わる東洋諸語による文献の分析を進めた。 1. 報告者は、前年度にトマス・エラストゥスとテオドール・ド・ベーズの論争のうち、特に「ヘブライ人の共和国」における世俗為政者と聖職者の関係に係る論点を扱った。本年度は、この聖書解釈に係る争点が17世紀前半のオランダにおけるレモンストラント論争ならびに17世紀半ばのブリテンにおいて反復されつつ、異なる争点が生じた、という見通しを出発点とした。その上で、グロティウスの『聖的事項に関する最高主権者のインペリウムについて』および『旧約聖書註解』とグロティウスの聖書解釈に多くを負うセルデンの『サンヘドリン及び古代ヘブライ人の司法官職』おける聖書解釈の分析を進めた。その結果、17世紀初頭のオランダと17世紀半ばのブリテンの論者たちにとり、「ヘブライ人の共和国」の為政者が為政者として宗教事項に関する権限を行使したのか、預言者として宗教事項に関する権限を行使したのか、という争点が重要であった、ということが明らかとなった。 2. セルデンが聖書解釈において参照する聖書翻訳や注解書は多岐にわたる。とりわけ国家・教会関係に関する文脈おいて、ヘブライ語やギリシア語聖書テクストと、英語等の各国語訳やアラビア語、シリア語といった東洋諸語訳聖書の異同から、セルデンがいかなる議論を提出したのか、が主要な課題となった。この点につき報告者は、セルデンが『サンヘドリン』においてアラビア語聖書の諸翻訳をいかに援用しているか、に注目し、アラビア語訳聖書が有する意義について一定の見通しを得ることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上述の通り本年度は、1. グロティウスら17世紀前半のオランダの論者たちの聖書解釈ならびにセルデンら17世紀半ばのブリテンの論者たちの聖書解釈と国家・教会関係の連関と2. セルデンの聖書解釈の方法に注目し、研究を遂行した。 1. グロティウスやセルデンの議論を把握するべく、報告者は彼らの著作を具体的な文脈に位置付けて分析することを目指した。より具体的には、グロティウスの『聖的事項に関する最高主権者のインペリウムについて』における「ヘブライ人の共和国」に関する聖書解釈を、レモンストラント論争の当事者であるヨハネス・アウテンボーハールトやアントニウス・ワラエウス、「ヘブライ人の共和国」における世俗為政者と聖職者の関係に関連する章句につき緻密な文献学的議論を提出したペトルス・クナエウスらの聖書解釈と相互比較に比較した。この点に関する分析は、第68回日本西洋史学会大会における口頭発表としてまとめられた。 2. グロティウスの聖書解釈に強い関心を示したセルデンもまた、聖書解釈に基づいて「ヘブライ人の共和国」の聖俗関係を検討した。とりわけセルデンは、『サンへドリン』においてモーセが有したインペリウムと裁治権に係る聖書章句に特段の注意を払っている。さらにセルデンが示すモーセの裁治権の解釈は、その根拠をグロティウスの聖書解釈のみならず、アラビア語やシリア語といった聖書翻訳にも基づいて、自身の主張を補強している。以上のセルデンにおけるアラビア語訳聖書に関する議論は、「聖書解釈とアラビア語文献学」と題した論考に結実した。 以上のように、1点目についてはグロティウスの聖書解釈を論争的文脈に位置付けて分析を進め、口頭発表としてまとめることができ、2点目についてはセルデンの聖書解釈の方法と、その聖書解釈から導かれる結論を論考の形で発表することができた。それゆえに、研究はおおむね順調に進展していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度にあたる本年度は、1・2年目の成果を統合し、博士論文全体を執筆することを目指す。その際に、エラストゥス以降の国会・教会関係論と聖書解釈の連関を、後の時代のグロティウスやセルデン、さらに彼らが関与した論争の当事者たちの聖書解釈に注意を払い、聖書解釈史という分野のみならず、教会史の分野にも貢献することを目指す。 1. 本年度までの成果として、エラストゥスとド・ベーズの間で生じた争点を明確にし、グロティウスや彼の対抗者もまた、程度の差こそあれ、16世紀末の改革派教会内部の論争に関心を寄せていたことが明らかになった。本年度は、17世紀のオランダとブリテンの論者たちの聖書解釈を、16世紀末の改革派教会内部の論争をも考慮して分析することで、16世紀末から17世紀半ばまでの「ヘブライ人の共和国」に関する聖書解釈をまとめることを目指す。 2. 上述のセルデンの聖書解釈に関する論文の結論部において報告者は、セルデンの聖書解釈を、彼と鋭く対立したスコットランド出身の長老派神学者ジョージ・ギレスピーのそれと比較し得る可能性を示唆した。モーセが政治的・世俗的為政者としてではなく、預言者として教会を秩序付ける法と規則を与えた、という『花開くアロンの杖』におけるギレスピーの見解は、モーセが王として宗教的事項を管轄した、と主張するセルデンと相容れない。とは言え、アラビア語やシリア語訳聖書をも章句解釈の可能性のひとつと看做したセルデンの議論を、当時のブリテンの政治的・党派的論争の文脈にのみ還元することがどの程度まで適切であるのか、にも注意を払う必要がある。学究の徒としてのセルデンが、聖書解釈において東洋諸語訳聖書をいかに用いたのかを、聖書の文献学的研究を志向するcritica sacraという同時代の潮流において厳密に検討する必要がある。この点を論究することで、聖書解釈史研究としての貢献を目指す。
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