最終年度である2019年度は前年度までと同じく、トルコ共和国のハサンケイフホユック、アゼルバイジャン共和国のダムジリ洞窟、ウズベキスタン共和国のカイナル・カマル岩陰およびダルヴェルジン出土資料の分析を進め、データの統合を図った。 これまでの知見を統合すると、紀元前九千年紀以降に西アジアで家畜化された偶蹄類がコーカサス、中央アジアにまで到達したのは紀元前六千年前後になってからのことである。この時期、コーカサスのダムジリ洞窟では狩猟採集から農耕牧畜への移行が極めて短期のうちに起こったことが判明している。同じ頃、中央アジア西部では低地や砂漠の遺跡で家畜利用の証拠が現れる。カイナル・カマル岩陰の調査成果は、それより少し遅れるが、殆ど同時期に山地にも家畜が導入されていたことを示している。このことは、中央アジア地域へと家畜が導入された時期には、すでに高低差を利用した季節的な移牧(もしくは遊牧)が成立していたことを示している。 問題となるのはそれ以東への家畜の拡散である。前年度までの報告で、中央アジア東部への家畜の導入は紀元前三千年紀中頃以降で、それには南北二つの異なる経路が存在していた可能性を指摘してきた。つまり、粗製土器や特徴的な金属製品を伴ったアンドロノヴォの人々による北方ルートと、精製彩文土器を伴った西アジア・南アジアの農耕民による南方ルートである。ウズベキスタン東部に広がるフェルガナ盆地では、紀元前二千年頃になると山地にアンドロノヴォのキャンプや墓地が、低地にテル型の農耕村落が出現する。つまり、当地に農耕がもたらされた時期には二つの考古学的文化が併存していたことになる。動物考古学的手法から南北二つの存在していたことを明らかにするために両文化の遺跡から出土した動物遺存体の形態比較を開始しているが、資料の制限もありまだ成果は出ていない。今後の資料の増加が期待される。
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