本年度は、中国(漢代および隋・唐)における居所派生語の収集・分析を行う予定であったが、中国史料の収集に手間取ったことと、併行して進めている科学研究費若手Bの研究課題との関係で、日本の居所派生語の分析が必要となったことから、①漢代および隋・唐の居所派生語の収集、②日本古代の「後宮」「中宮」の分析を行った。 ①本来であれば居所派生語の分析まで行う予定であったが、当該史料の収集に際して利用する予定であった台湾・中央研究所の「漢籍電子文献資料庫」の検索機能が、以前利用したものと異なっており、台湾語に習熟していないこともあって、利用開始までに時間がかかり、収集のみに留まった。 ②平安時代における父権の確立過程を解明するにあたって、父権と対になる母権を有する母后やキサキの検討が不可欠である。平安時代の王権構造における父権と母権の相克を明らかにするためにも、「後宮」「中宮」という居所派生語の分析による居住形態の変遷を踏まえる必要があることから、日本古代の居所派生語の収集・分析を前倒しして行った。 収集・分析自体はまだ中途であるが、「後宮」については、従来「後宮女官」などと呼ばれ、「後宮」の一員と思われていた女官が、奈良時代までその対象に含まれておらず、平安初期の後宮改革によって「後宮」の一員となっていくことが明らかとなってきた。この問題と関連して、女官が「後宮」の一員とされるのと併行して貢進が停止された采女についても若干の考察を行い、律令官僚制による天皇と地方豪族の新たな関係構築によって、令制以前からの伝統的支配制度である男女の奉仕が放棄され、地方豪族女性による天皇への奉仕が不要となったことが明らかになった。「後宮」は本来キサキの宮であり、そこの一員となった女官もキサキとなり、次世代の天皇生母となり得ることから、地方豪族出身である采女は排除されたものと考えられる。
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