研究課題/領域番号 |
17J40153
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
新見 まどか 神戸大学, 人文学研究科, 特別研究員(RPD)
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研究期間 (年度) |
2018-04-25 – 2021-03-31
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キーワード | 中国史 / 内陸アジア史 / 唐代史 / 軍事史 / 唐宋変革 / 藩鎮 / 遊牧民 / 国際関係 |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、10世紀における中国、唐王朝の滅亡が、東部ユーラシア(ここではユーラシア大陸のパミール高原以東とする)の動向といかに関連したのかを、中国史のみならず内陸アジア史の視点も踏まえつつ解明することである。その際注目するのは、唐王朝の各地に割拠した、藩鎮という軍閥である。藩鎮は、軍団の内外において、内陸アジアに淵源をもつ遊牧勢力と深い結びつきをもっていた。というのも、遊牧勢力は、騎兵という強大な軍事力を有し、当該時期の軍事・政治政策を決定づける重要な存在となっていたからである。藩鎮と遊牧勢力との関連については、既存の編纂史料・文集史料のみならず、中国で近年陸続と発見されている、最新の石刻史料が多く参考になる。 そこで、研究1年目である本年度は、主にこうした史料状況の総合的な把握と整理に務めた。その際、具体的には以下の二点に注目した。すなわち、①藩鎮が遊牧勢力とどのような手段で結びつきを築いたのか、そして②藩鎮相互の政治的・軍事的な交流(本研究ではこれを、藩鎮の「外交」と規定した)が如何なるものであったのか、という二点である。 ①の点については、藩鎮の下で活動したさまざまな遊牧集団の具体名や遊牧地、そしてその遊牧集団と藩鎮の総帥である節度使との結びつき方などを整理した。また、②については、当該時期の藩鎮同士は、頻繁に軍事対立を繰り返す一方、同盟・人質・擬制的血縁関係など、様々な手段で結合の強化を図っていたため、この結び付きの在り方及びその背景や結合の変化などを、時系列で整理した。そして、これらの状況を俯瞰的に整理し、今後の研究の基礎となるデータベースの作成に務めた。 これらの中でも、特に幽州盧龍軍節度使を巡る遊牧民の動向とその「外交」については、既に論文にまとめて雑誌に投稿済みであり、現在審査中である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
現在までの研究の進捗状況は、おおむね当初の研究計画書通りである。 本年度の研究計画は、研究の基礎となる各種史料の収集・整理・読解であった。この計画に従い、申請者は、研究対象時期である9世紀後半から10世紀にかけて、正史に代表される編纂史料、『桂苑筆耕集』などの文集・詔勅類、及び刊行された最新の石刻史料について、内容を精査したうえで編年順に整理し、特に重要と思われるものから読解してゆく作業を行ってきた。 その結果、唐内地における遊牧勢力の分布状況やその政治的・軍事的立場、藩鎮とのかかわり方を、総合的に把握することができた。また、藩鎮間の「外交」についても、特に宋代以降の国際関係を規定したとされる「盟約」に注目し、これまで注目されてこなかった多くの「盟約」及びその内容を抽出することができた。 こうした史料収集の成果のうち、特に幽州(現在の北京)方面の情勢については、既に投稿論文の形でまとめることができている。これは、十分に当初の研究計画に沿った成果であるといえる。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、史料のさらなる分析を通し、唐王朝の滅亡を東部ユーラシア史の中に位置づけてゆく作業を行う。具体的には、今年度収集した史料のうち、藩鎮同士の「盟約」について、さらに掘り下げてゆくことを予定している。 実は先行研究において、「盟約」は、11世紀以降、宋王朝と契丹(遼王朝)との国際関係を規定していった、重要なファクターであり、その萌芽はまさに本研究が対象時期とする10世紀にあったとされる。しかしながら、従来の研究では宋朝の前身である沙陀系王朝と契丹と関係のみに注意が払われ、他の「盟約」についてはほぼ全く考察されてこなかった。ところが、沙陀系王朝・契丹間の研究成果を踏まえて10世紀の他の「盟約」を整理すると、従来等閑視されてきた藩鎮勢力が、実は沙陀系王朝・契丹双方にとって重要な役割を果たしていたことが推察される。 したがって、今後は10世紀における「盟約」の締結者やその内容を踏まえ、唐朝滅亡前後の時期における多様な「盟約」の全貌を把握していきたいと考える。沙陀・契丹はいずれも内陸アジアに由来する遊牧集団であるが、その研究成果を、中国史にも援用することができるのである。この作業を通して、10世紀の歴史を、中国史・内陸アジア史という双方向的な視点からとらえなおす作業を行いたい。
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