研究課題/領域番号 |
17K00717
|
研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
竹内 有子 大阪大学, 文学研究科, 招へい研究員 (80613984)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | デザイン教育 / デザイン史 / 美術教育 / 素描教育 |
研究実績の概要 |
今年度は、ロンドンに次いで、1840年代から認可された地方分校における本校の中央集権中央集権的施策・国定カリキュラム23課程に対する諸反応について調査を行った。まず昨年度からの継続課題として、美術アカデミーから19世紀前期における同校の設立時にかけての「デザイン概念」の変遷について、下院議会文書の一時資料を用いて明らかにした。 当初、「諸芸術と製造に関する特別委員会」において、「デザイン」は「素描」の意味で用いられていたが、校長に就任した画家ウィリアム・ダイス(William Dyce, 1806-64)によって「産業美術」と命名された。そのうえでダイスは「製造工程の実用的な研究」の必要性を要求して、装飾に対する抽象性と科学性の重要性を訴えた。従来の先行研究では、ダイスの功績は過小評価されてきたが、同校の改革を担ったヘンリー・コールらのデザイン教育の方向性にあって、重要な布石であったことが判明した。ダイス以降、同校が初等教育の基盤とした幾何学的線描は、産業化による機械学(工学)的見地から発していた。 ロンドン本校の設置後、マンチェスターを皮切りに次々とデザイン学校の分校が増加していった。このことからマンチェスター校の設立時の経緯について、マンチェスター中央図書館が所蔵する一次資料から調査を行った。結果として、同地方校の設置においては、画家ベンジャミン・ヘイドン(Benjamin Robert Haydon, 1786-1846)の主張に代表される、ロンドン本校では実現されなかった「アート上位」(美術)の思想から生じたことが分かった。これは、アート上位から「デザイン上位」(産業デザイン)へと次第に推移した本校の方針との対立を意味している。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
前項で述べた通り、官立デザイン学校は美術アカデミーとの関係性による「アート上位」の思想から発し、「デザイン上位」へと方向性を変えていった。この転換は、ダイスからコール・グループのデザイン概念の確立に関わっている。このことを例証し(他の卒業生と比較して、一次資料に最もアクセスし易い)代表的なデザイナーは、同校の卒業生で教員ともなったクリストファー・ドレッサー(Christopher Dresser, 1834-1904)であった。ドレッサーは、コールらのデザイン教育が装飾のデザインに傾注したために不足した、量産に必要な製造技術を教授することの重要性を訴えた。彼の功績とは、これまで主張されてきたデザインにおける芸術性に、新たに工学性を加えて意味づけたことにある。その契機の一つが、ダイスから受け継いだ自然の科学的研究(植物学における構造・構築性の発見)にあった。それでは、ダイスから継承した「インダストリアル・アート」の方向性は、ドレッサーにおいて十分に展開されたのだろうか。このことについては、先行研究においては全く触れられていないため、今後充分に検討する余地がある。またこの調査によって、デザイン教育史に新たな論点を与えることができる。 加えて、同時代の官立デザイン学校の資料の現存については限界が多いなか、バーミンガム市立大学には、官立デザイン学校分校から同美術学校分校に渡るアーカイヴがある。マンチェスターとバーミンガム双方で教えたジョージ・ウォリス(George Wallis, 1811-1891)および後者のみで教えたフランク・ジャクソン(Frank G. Jackson, 1861-1904)の足跡と一次資料および作品群を引き続き調査する。
|
今後の研究の推進方策 |
前項で述べた通り、官立デザイン学校は「アート上位」の思想から発し、「デザイン上位」へと方向性を変えていった。この転換は、ダイスからコール・グループのデザイン概念の確立に関わる。このことを例証し(他の卒業生と比較して、一次資料に最もアクセスし易い)代表的なデザイナーは、同校の卒業生で教員ともなったクリストファー・ドレッサー(Christopher Dresser, 1834-1904)であろう。ドレッサーは、コールらのデザイン教育が装飾のデザインに傾注したために不足した、量産に必要な製造技術を教授することの重要性を訴えた。彼の功績とは、これまで主張されてきたデザインにおける芸術性に、新たに工学性を加えて意味づけたことにある。その契機の一つが、ダイスから受け継いだ自然の科学的研究(植物学における構造・構築性の発見)にあった。それでは、ダイスから継承した「インダストリアル・アート」の方向性は、ドレッサーにおいて十分に展開されたのだろうか。このことについては、先行研究においては全く触れられていないため、充分に検討する余地がある。 加えて、同時代の官立デザイン学校の資料の現存については限界が多いなか、バーミンガム市立大学には、官立デザイン学校分校から同美術学校分校に渡るアーカイヴがある。マンチェスターとバーミンガム双方で教えたジョージ・ウォリス(George Wallis, 1811-1891)および後者のみで教えたフランク・ジャクソン(Frank G. Jackson, 1861-1904)の足跡と一次資料および作品群を引き続き調査する。
|
次年度使用額が生じた理由 |
本年度は可能な限り経済的な使用計画を遂行するために、古書等の割安な物品を購入した。このために、次年度使用額が生じた。
|