本研究は、 1898(明治 31)年にアメリカ人宣教師マリアナ・ヤング(以下、ヤング)女史が長崎活水女學校に導入した Physical Culture について解明することを目的とし、4つの結論を得た。 1)ヤング女史は、1889~1893年までオハイオウェスレアン大学に在籍し、当大学では女子のPhysical Cultureの講義が1891‐1892年度から開設されていることから、ヤング女史は在学中にPhysical Cultureを学んでいた可能性が示唆された。 2)ヤング女史は、1898年に長崎活水女學校に着任し、明治20年度(1887-1888)の長崎活水女學校規則の第四章 生徒行状心得 第八項に「遊歩時間ハ勉強ス可ラス」と記載されており、遊歩などの運動を指定の時間に行っていたことが明らかになった。また、活水女學校校医の報告書から、ヤング女史着任以降、生徒たちの健康状態が良くなり、その理由の一つにPhysical Cultureの導入が挙げられていた。そのため、ヤング女史着任以前の生徒の健康状態は、遊歩や運歩の時間は設けられていたものの、健康状態改善には及んでいなかったものと推察された。 3)ヤング女史が長崎活水女學校で指導したPhysical Cultureは、西洋式のユニホームを身に纏い、音楽に合わせて号令は全て英語、唖鈴・木環・棒を用いた体操が行われていた。この体操は新式体操と呼ばれ、男子禁制で長崎市内で一般公開され、入場のための義捐金はユニホームや孤児院のリホーム代に充てられていた。 4)校医による報告では、ヤング女史が導入したPhysical Cultureの導入で生徒達の健康状態が良くなったことが記述されている。また、年に1回開催される公演会は長崎市の教育界にも影響を与え、他校や他県からも公演会を見に来て、公演会をリクエストされるほどの教育効果が期待されていた。
|