最終年度の研究では、19世紀末以降のイギリスで出版された、技術解説書や手引書等のホッケー書を史料として、これらの書の著者が、特にイングランドの女性のゲームの普及過程をいかに認識し、記述していたのか、またその認識は、1914年までの時期に、いかに変化したと評価できるかについて検討した。 性差に基づき、異なる全国的組織に統括された男性、女性のゲームの普及は、主に男女の統括組織関係者を著者とするホッケー書の出版を伴った。男性の統括組織の役員であったクレスウェルが1890年に出版した、ホッケーのみを扱う最初の単著には、女性のホッケーに関する記述は見られなかった。しかし、1895年のバタースビーの書は、女性のホッケーについて1つの章を充て、スミス、ロブソンらによる1899年刊の大部の書、Hockey: Historical and Practicalは、全4部のうち第3部で女性のホッケーを扱い、女性の著者による2つの章を含んでいた。1901年、ピカリングは、女性著者による、女性のホッケーに関する最初の単著、Hockey for Ladiesを執筆し、1904年には、女性著者による、最も詳細な技術解説書となったHockey as a Game for Womenをトムソンが出版した。以降、初版出版時には男性のホッケーのみに言及が限定されていた書にも、改訂を経て女性のホッケーに関する章が追加されるようになった。これらの書の中で、女性のホッケーの普及のイメージは、一部の有閑な女性に求められた新たなスポーツから、広い階層の女性たちから人気を集め、女性たちが巧みにプレイする冬季の理想的なボールゲームへと更新されていった。 研究期間全体を通して、、1)組織化以前のゲームの実施状況、2)女性単独の統括組織の設立、3)組織化以降のゲーム普及過程、という本研究の3課題について一定の研究成果が得られた。
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