本研究は植民地朝鮮における総力戦体制期に「人的資源」として朝鮮人を動員していくときにどのような身体管理政策がなされたのか、その実態を明らかにすることを目的とし、今年度はとりわけ朝鮮体力令に着目した。この「朝鮮体力令」については『朝鮮体力令概説』(1945.7)がその詳細を知るうえで重要な史料となる。そのためこの史料を中心に分析を試み、またこの『朝鮮体力令概説』以外にも『國民體力法關係法規』 などの「国民体力法」に関する史料、また『國民総力』、『體育日本』、『朝鮮社會事業』などの雑誌資料、ならびに『京城日報』、『毎日新報』などの新聞資料から、朝鮮体力令の公布に至った背景も分析の対象とした。 「朝鮮体力令」が発布・施行される前に日本では1940年に国民体力法と国民優生法が施行されており、植民地朝鮮における朝鮮体力令の発布・施行と比べ、5年ほどのタイムラグが確認される。これは植民地朝鮮への権力者側の眼差しに依拠する部分でもあった。この朝鮮体力令の意義は「労働力の強化と徴兵計画の円滑なる遂行に資」するものとされているが、終戦間近に施行に至った法令であったため、どの程度機能しえたかの評価は難しい。また朝鮮体力令の施行前に、朝鮮医療令も施行されており、植民地朝鮮における保健衛生行政としての意味を汲み取っていく必要があり、その他の身体管理政策との関連から総合的に分析していく必要がある。 今年度の本課題については、まだ分析の途上でもあり、整理したものを今後研究論文としていくこととしている。
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