最終年度は、企画段階から進行まで依頼された、大会シンポジウムの後に、その論文として執筆され、『西日本哲年学年報』30号に掲載された「エニグマとしてのモナド」では、ラッセルの場合の、モナドを物体から完全に分離するような、古典的モナド解釈をArthurの最近の研究書にも触れながら、ライプニッツのデ・フォルダー宛書簡での論証に基づき、批判した。そのうえで、この「物体に内在するモナド」をライプニッツが言及した、アン・コンウェイの「モナド」概念との比較も含めて見直すために、モナド概念の歴史的起源と現代的位置づけに迫った。この点は、さらに、ボイル、ファン・ヘルモントらの繋がりを通して解明できるものと考えている。 また、前年度にオンラインの国際学会で報告した““Origins” of time in Leibniz from his letters to De Volder”を発展させ、「時間の「起源」―ライプニッツのデ・フォルダー宛書簡から―」として発表した。この論文では「連続体合成の迷宮」の存在論的解消と「神の全知」や弁神論で問題となる「予知」をめぐる、初期近世の自然神学の論争的な文脈を踏まえながら、ライプニッツに直近する、デカルトやスピノザからスアレスやスコトスなどに遡る「優勝性」の概念、特に個体のeminentな存在に関する、神の全知を基盤とした、ライプニッツの時間論を浮き彫りにした。 期間全体としては、ライプニッツの存在論について、生物哲学、現実的時間論などについて新たな知見、解釈を提示することができた。
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