尾高朝雄の“現象学的”国家論における「全体」概念の「生成」と「展開」を歴史的・理論的に解明するという研究課題について、申請時には、前期(留学前)・中期(帰国後)・後期(戦中期)に分けて段階的に順次進展させる計画だった。 しかし2019年度までの研究成果によって前・中期の理論的背景の充溢と錯綜こそが尾高の思想の展開にとって決定的であること、また1920代の日本社会学における現象学受容の典型的な傾向が認められ、さらにその根底にヴァイマルドイツの保守的精神性と社会学への期待が深く関与していることが判明した。とりわけS・クラカウアーの『学としての社会学』からの決定的な影響がある。尾高は、社会的現実と理念的存在の連関という同書の問題設定を引き継ぎ、これをフッサール現象学によって磨きあげ、ハイデガーの概念を挿入することで国家論として組みなおしている。この点について学会発表と関連論文の形で公にした。これにより「生成」の面で精神史的な観点が拡充された。 2020年度以降、コロナ禍にあって研究にかかわる社会状況および生活状況が激変し国内外の資料調査に困難をきたした。そのため申請時において、とりわけ「展開」にかかわる最終目標であった「ヘーゲル哲学の受容」の内実を解明するという課題は断念し、かわりに1920年代ドイツと日本における「危機」認識や「全体性」への動機について、可能な限り歴史的・理論的に解明し、書籍の出版を目標として計画を変更した。 2022年度は、以上の研究成果を踏まえた解説と資料を付して、長らく未邦訳であったクラカウアー著『社会学』を公刊する計画で研究を続行した。同著の根底には尾高を含め当時日本の社会学者が関連づけることのなかったルカーチのドイツ観念論的な歴史観だけでなく、グンドルフらのロマン主義的な諸概念が伏在していることも判明した。年度内での実現はかなわなかったが近日公刊予定である。
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