研究課題/領域番号 |
17K02195
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
品川 哲彦 関西大学, 文学部, 教授 (90226134)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 正義 / ケア / 平等 / 人間の尊厳 |
研究実績の概要 |
本研究の着想は、発達心理学者ギリガンに始まるケアの倫理による、正義と権利を基底とする近代の正統的な倫理理論にたいする異議申し立てに由来する。それはたんに道徳発達心理学の内部での対立にとどまらず、倫理的理想と倫理的推論・判断のあり方において異なる倫理理論による倫理学の内部の対立でもある。この発想のもとに、倫理規範のグルーピングを描出すれば、第一の倫理規範のグループには対等な人間関係を範型とする権利、正義、平等、公平等のグループがあり、第二の倫理規範のグループには相手の権利に対応せず、非対等な力関係でも成り立ちうる善意、善行等のグループがあり、ケアと責任は第三のグループを形成している。というのも、第三のグループの規範は非対等な力関係を範型とする点を第二のグループと共有するが、しかし第二のグループの規範がいわゆる功績にあたるのにたいして、ケアと責任はその不履行が非難を呼ぶ点を第一のグループと共有する。本研究はまずはこの倫理規範の分類とそれにもとづく倫理理論を分類する見取り図を作成した。 2019年度は運平等主義が「ふくらみのある正義概念」に通じるかどうかを考察した。運平等主義はいかなる者もその(幸)運に値しないとするロールズの発想をさらに徹底するものだが、その先駆者ドゥオーキンは本人が回避できなかった不運とみずから惹き起こした不運とを分け、前者についてのみ不運の補償を想定する点で、E. アンダーソンの指摘するように後者の不運に苛酷な面がある。アンダーソンはその批判のなかで他人の世話をせざるをえない状況にある女性の例を援用する。これは、ケアする者のケアの必要性を説くキテイをはじめとするケアの倫理の論者の視点と重なるものである。この点で運平等主義は弱者にいっそう対応しうる正義概念を探究しつつも、依然としてケアの倫理が批判する自律を想定する近代の正統的な倫理理論であると考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
研究の進展を遺憾ながら「遅れている」と評価せざるをえなかったのは、ひとつには、研究上の理由にはあたらぬが、正直なところ、本研究の研究機関と任期がほぼ重なる学内の役職である高大連携センター長・地域連携センター長の用務に予想以上のエフォートを割かざるをえず、そのためにかなり研究上の遅滞をきたしているためである。もうひとつの要因は、本研究に部分的に関連するものの、本研究の主題そのものではない著作(倫理学の概説書)を2019年度は執筆していたためである。ようやくその仕事は脱稿し、2020年7月の刊行を予定している(『倫理学入門――アリストテレスから生殖技術、AIまで』、中央公論新社)。したがって、その負担は現在ではなくなっているが、「遅れている」と厳しく評価したのは、2020年度に本研究の最終年度を迎えるからでもある。最終年度を控えて2019年秋には、本研究の構想を立て直したうえで新規の科学研究費を申請したが、採択にはいたらなかった。 上述の著作は一般の読者層を対象としているために、そこに本研究の成果がそのまま公表されるわけではない。ただし、本研究の成果が間接的に反映していることはたしかでもある。「研究実績の概要」に記した倫理規範のグルーピングは上述の著作の第1章「倫理とはどういうものか。倫理学とはどういう学問か」に、そのグルーピングにもとづいた各種倫理理論(そのなかには本研究に関連深いリベラリズムの淵源である社会契約論とケアの倫理が含まれている)の分類と特徴づけは同じく第2章「代表的な倫理理論」に、運平等主義の考察や上に言及したキテイの提唱する、ケア労働者を社会全体で支えようとするドゥーリア制度に関する考察は同じく第3章「ひととひと」の国家を論じる節のなかに記している。 したがって、本研究がめざしている考察の一端は、こうしたしかたで社会に公表する用意ができたといえる。
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今後の研究の推進方策 |
「現在までの進捗状況」に記したように、本研究がめざしている考察とその成果の一端は、一般向けの書物のなかで公表する用意ができたが、もちろん、成果は学術論文というかたちで公表する予定である。「研究実績の概要」には、ドゥオーキンの運平等主義について言及したが、運平等主義は、本人が回避できなかった不運とみずから惹き起こした不運とを峻別する方向にだけ向かうわけではなく、むしろみずから惹き起こしたとみえる不運の背景にも本人が回避できなかった不運が潜んでいるのではないか。むろん、この推論を極端に推し進めれば、すべてが運になってしまい、もはや本人の功績に対応する配分をめざす(分配的)正義を説く意味がなくなってしまう。しかし、苦境に陥った人間にたいしてその苦境を招いた要因のなかに本人自身の責任を追及し、それと同時に、援助を求める権利・資格の有無を問うことを優先する態度こそ、ケアの倫理からみれば、他の援助を必要とせずに自立して生きることを前提とし、人間の傷つきやすさを軽視する正義の倫理――近代の正統的な倫理理論――の先入見である。運平等主義は、前述のように、正義論を淵源としているが、しかし、平等の実現を推進していこうとするその背景にケアの倫理と類縁の人間の傷つきやすさにたいする関心がないか、あるとすれば、本研究の題目にいう「ふくらみのある正義概念」の一例をそこにみることができるだろう。 他方、「実効性のあるケア概念」については、ケア労働者を社会で支えるキテイのドゥーリア制度が重要である。2020年に埼玉県で制定された「ケアラー条例」は家族のメンバーを無償でケアしている家族を社会的に支えるという点でキテイの発想と通じており、具体的な実践として注目される。本研究はフィールドワークによるものではないが、キテイの思想の理論的考察を深めることでその実効性を検討する予定である
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次年度使用額が生じた理由 |
購入すべき図書が当初の予算よりも少なかったことによる。次年度使用額は2020年度の文献資料の購入、および海外出張(ドイツを予定している)のための旅費において使用する予定である。
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