最終年度である本年においては、本研究の総括として、「佐藤一斎および大塩中斎による王守仁『大学古本傍釈』の受容―併せて佐藤一斎による「大学古本序」挿注を論ず―」を上梓した。本論文においては、佐藤一斎および大塩中斎が、本場中国においてすら、王守仁の真作か否かについて議論があった『大学古本傍釈』について、近代的なテキスト・クリティークの手法を駆使してそれが王守仁の真作であることを解明した様を明らかにし、あわせて二人が長崎から流入する唐本を利用しつつ、版本校正を進めていった様を描き出した。 これらの観点は、論文発表後、多くの陽明学・日本思想研究者より賛同を得ることができた。また、本論文においては、佐藤一斎による「大学古本序」の挿注が、単なる注釈にとどまらず、従来の訓点から、近代的な翻訳へとつながる可能性を有する、画期的なものであったことを明らかにした。この観点は、特に訓点の研究者から賛同を得たことを付記しておきたい。 日本においては、江戸末期に至るまで、中国の学問を輸入し、それを理解することが学問の主流であった。しかしながら、江戸期の日本の陽明学者が、いかに中国の陽明学を分析したかということは、基本的な問題でありながらも従来軽視されてきた。本研究は、江戸後期における最大の陽明学者である佐藤一斎及び大塩中斎を主題として、彼ら二人が長崎から流入する唐本を通して、王陽明の思想を如何にして分析していったかを見ることにより、日本における外来思想の受容の意義を探るとともに、従来、江戸期の漢文の読法として全く論じられることの無かった「挿注」という読法を学界に紹介した点、大きな意義を有するものと考えられるものである。
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