研究課題/領域番号 |
17K02213
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
佐久間 秀範 筑波大学, 人文社会系, 教授 (90225839)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | Sthiramati / 堅慧 / 安慧 / ヴァラビー / 玄奘 / 窺基 / 普寂 |
研究実績の概要 |
インド・グジャラート州のヴァラビー(現ヴァラビープル)から出土した銅板碑文にSthiramatiの名前があり、これが玄奘『大唐西域記』ヴァラビーの項目の「堅慧」という人物と同一視されてきた。現代の仏教学界で常識となったのはビュラーが両者を「間違いない」と同定したことを発端とする。しかしヴァラビープルの現地を調査すると、ヴァラビーにはナーランダーに匹敵するような僧院があったとは到底思えない感覚に襲われる。しかも玄奘の『大唐西域記』にも、そのような記述はない。かつて僧院が存在していたとしても、考古学的にもその他の分野の研究からも、それがナーランダーに匹敵するほどの壮大な僧院であったとは考えられない。また碑文研究の研究から考えても銅板碑文に名前があるSthiramatiが多くの註釈書を残したSthiramatiと同一人物とすることには無理があることが判る。ビュラーの研究により両者を同一視することを何故に仏教学界が受け入れてしまったかを探ると、日本の江戸時代の普寂の記述に発端を持つことが判った。さらにその淵源を遡ると玄奘が『大唐西域記』の中でSthiramatiを注意深く「安慧」ではなく「堅慧」と漢訳したにも関わらず、玄奘の弟子の窺基が「安慧」と訳し直し、しかもこの「安慧」が『阿毘達磨雑集論』の著者であるという説明文を付け加えたことで、註釈家Sthiramatiであるとしたことが確定してしまった。これらの経緯を国際仏教学会(カナダ)と日本印度学仏教学会(東洋大学)で発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
現在のヴァラビープルを現地調査したことに基づき、この地で出土した銅板碑文のSthiramatiが註釈家Sthiramatiとは別人である可能性が高まった中、両者を同一人物とすることを決定づけたビュラーなどヨーロッパの仏教学の成果を再検討した。再検討の過程でビュラーなどの前提となった背景資料を精査してゆくうちに、その発端が江戸時代の日本の普寂の記述に発端があり、日本の近代仏教学の研究史の中で徐々に下地が出来上がっていったことにあることが思いの外早く見つかった。さらにその淵源を中国唯識教学に遡ってゆくと、玄奘の弟子である窺基が意図的にか否かは定かでないが、玄奘『大唐西域記』のヴァラビーの項のSthiramatiを「堅慧」と漢訳し、その人物像については一切記さなかった玄奘の意図を汲まずに、窺基の著作の中で「安慧」と訳し直し、玄奘が『阿毘達磨雑集論』の著者として「安慧」とした註釈家Sthiramatiとして描いたことがもともとの出発点であることが濃厚となった。この点まで早く辿り着けたのは研究協力者の協力のたまものである。
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今後の研究の推進方策 |
安慧-真諦と繋がる如来蔵思想系と護法-戒賢-玄奘系の中国唯識教学・日本法相教学の流れがどうして定着してしまったかも判ってきているので、この点をさらに明確化すると共に、玄奘はナーランダーでそもそもどのような瑜伽行唯識思想を学んできたか、それが中国に帰国し翻訳活動をする中でナーランダーで学んだものと異なる傾向の思想へと変化したのではないかという疑問が生まれてきている。さらにはそもそも瑜伽行派と呼ばれる所以であるヨーガの修行者の姿はどこに消えたのかは、玄奘の弟子の日本からの留学僧道昭の存在を再確認する必要も生まれてきている。このような新たな課題に向かう研究の準備を進めることにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
玄奘の『大唐西域記』は西インド(ヴァラビーetc.)への記述が簡略であるのに対し、東インド(アマラヴァティーetc.)への記述が詳細であることに鑑み、東インドの現地調査が必要であるとの思いに至った。そこで東インドの現地調査とその内容を国際的なレベルで共同研究会を行う必要がでたため、2019年度にハンブルク大学およびオックスフォード大学に出張する費用として繰り越した。
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