註釈家スティラマティがヴァラビー出土の銅板碑文に登場するSthiramatiであると信じられてきた。これは玄奘の『大唐西域記』のヴァラビーの箇所にある「堅慧」という記述をヨーロッパ仏教学においてSthiramatiと翻訳したこと自体は問題なかったのであるが、日本の江戸時代の研究において華厳教学系統の「堅慧」Saramatiと混同したことにも起因して、それがヨーロッパでも信じられ、この「堅慧」は「安慧」と漢訳された人物と同一人物とされ、註釈家スティラマティがヴァラビーを拠点としてナーランダーと並び称される仏教大学を率いた人物に仕立て上げられた。その淵源は玄奘の弟子窺基が『大唐西域記』の「堅慧」をわざわざ「安慧」と書き直し、しかも玄奘が人物像など何の報告もしていないところに人物像や註釈家としての成果も書き加えたことにある。その上窺基を宗祖とする中国唯識教学および日本法相教学では正当説を唱える護法と最も対立する人物像に仕立て上げた。サンスクリット語ならびにチベット語訳で現存する文献を精査するとそのような思想内容を表す根拠を見いだすことができないことを、今回の科研費の研究で突き止めることができた。その成果は筑波大学『哲学・思想論集』第45号(2020年3月)所収'Was There Really Only One Commentator Named Sthiramati?と名古屋大学Sambhasa 36(2020年3月)所収'Was Sthiramati of Valabhi Tha Same Person As The Commentator Sthirmati?'に発表した。これによって註釈家スティラマティと法相教学の安慧とヴァラビーの堅慧とは別人であることが判った。
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