研究課題/領域番号 |
17K02214
|
研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
吉水 千鶴子 筑波大学, 人文社会系, 教授 (10361297)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | 中観思想 / 中観派 / 中観帰謬派 / 中論 / 中観明句論 / 帰謬論証 / 他生の否定 / 中観自立論証派 |
研究実績の概要 |
2018年度はインドからチベットへの中観帰謬派思想の伝承過程の解明のため、継続してパツァプ・ニマタク著『根本中論般若釈』第1章(1b-17a)とシャン・タンサクパ著『中観明句論註釈』第1章後半26b-40bを用いて、インドの中観派論書と比較しながら次の研究を行った。 1 中観派の重要なテーマである「他生の否定」の論理の変遷を、初期中観からチベットに至るまで発展史としてまとめ、ハーバード・オリエンタル・シリーズより刊行予定のインド学仏教学論文集に寄稿した。 2 『中論』第1章3~6偈を帰謬論証としてシャンがどのように解釈するか明らかにした。 3 インド撰述のチャンドラキールティの中観論書がチベット語に翻訳される際、翻訳者パツァプはインド人学者からテキストの内容についてどのような講義を受けたのか、という問題について、国際ワークショップを主催し、口頭発表した。そこでミヒャエル・ツィンマーマン(ハンブルク・筑波大学教授)、ルオ・ホン(四川大学教授)、船山徹(京都大学教授)、根本裕史(広島大学教授)と議論を行い、特に中国で仏典が漢訳される際に同時に教育が行われたと推測される事例と比較検証した。パツァプはナーガールジュナの『中論』、チャンドラキールティの『中観明句論』を翻訳するという目的のため、その内容をインド人学僧にして共訳者マハースマティより学んだが、彼らが行ったことはこれらの論書を同時代(11世紀)の視点で再解釈し、「中観帰謬派」の典籍であると位置付けることであった。本研究により、彼らが自ら「中観帰謬派」の学派名を名乗ったのは、先行する8世紀の中観思想家でチベットに仏教思想を伝えたシャーンタラクシタ、カマラシーラ師弟の思想と自らの立場を区別するためであった可能性が明らかになった。これは帰謬派と自立論証派という中観派の分岐が実際に起こった歴史的な契機であると言うことができる。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究課題は「中観帰謬派の出現とその思想伝承」であり、これまで「思想伝承」については多く論じてきたが、「出現」について、その実際の契機とプロセスを初めて明らかにすることができた。『中論』の註釈者バーヴィヴェーカとチャンドラキールティ(7世紀)の解釈の相違が、後代になって「中観自立論証派」と「中観帰謬派」の分岐点と理解されるようになったが、自ら「帰謬派」を名乗ったのはおそらくパツァプが最初であり、チャンドラキールティの立場を支持する者として、彼が対峙したのはバーヴィヴェーカではなく、先行するシャーンタラクシタ、カマラシーラであり、彼らの著作であった。彼らは推論式を用いて『中論』の教義を証明しようとする点でバーヴィヴェーカに従うものであり、故にパツァプによって「自立論証派」と評価された。パツァプは彼らが非仏教思想を含む様々な思想体系を批判的に吟味しながら中観思想を最高位に位置付ける方法に倣い、かつ彼ら自立論証派の思想よりもさらに優れた中観思想として自らの「帰謬派」の思想を最高位に置き、『根本中論般若釈』で提示した。この点を明らかにすることができ、本研究課題の達成に大きく近づいた。
|
今後の研究の推進方策 |
2019年度は最終年度として本研究を総括する作業を行う。 1 パツァプ・ニマタク著『根本中論般若釈』第1章(1b-17a)の内容のシノプシスを作成し、論の展開を明確に示す。 2 シャン・タンサクパ著『中観明句論註釈』2章以下の解読を進める。 3 『パツァプと弟子シャラワの問答による中観義要約』より、1と関連する議論を明らかにする。 4 「中観帰謬派の出現」の背景と実際をまとめ、成果報告として学会発表と学術誌への投稿を行う。
|