本研究の目的は、南インドのタミル・ナード州の一部地域という限定された領域ではありながら、多数の仏像の出土と少数の碑文などから 16 世紀に至るまでの仏教の残存が確認されているという事実に基づいて、未解明のままであった南インドの終焉期仏教の様相を、出土遺物、碑文、ヨーロッパ植民者等の文献、といった多方面の資料を総合的に用いることによって可能な限り明らかにすることによって、インドにおける仏教の終焉の様相と原因を解明することである。 最終年度においては、タミル・ナード州クンバコーナム近くのティルヴァランジュリ寺院を中心に調査を行なった。この寺院からは現在チェンナイ博物館に所蔵されている大きな仏立像が発見されており、1580年というもっとも新しい仏教寺院へ言及する碑文の寺と同定できると推定されるからである。 このような調査から、カーヴェリ河デルタ地帯では13世紀までは仏教の活動は十分に盛んであったこと、弱まりながら最後は16世紀まで継続したこと、カーンチプラム周辺ではなお16世紀でも造像活動が見られること、などが明らかになった。 発見される石仏の周辺に寺院の遺構らしきものがほとんど発見されないことは、こうした石仏が仏塔の側面に置かれていたもので、おそらくは上座部の僧院と一体となって存在していたものと考えられる。 僧院の主像などであったと思われる石仏の大部分がブッダであり、観音像などはブロンズでしか発見されないことは、中核をなす僧院が上座部の信仰によって維持されながら、遠隔地交易商人などを中心としたと考えられる一般信徒に対しては観音などの信仰によって世俗的な救済をもアピールしようとする二重構造が推定でき、それこそが最終的な終焉の契機となったという仮説を提起させる。また一部の仏像の発見地が現在シヴァ寺院になっていることから在家の信徒についてはシヴァ教による吸収が行なわれたことも想定される。
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