研究課題
本年度は、学会での新たな成果発表は難しかったため、前年度までに学会で発表した内容を論文化して公刊することに集中した。まず、オーストリア科学アカデミーから刊行された論集『修行道:南アジア仏教の諸伝統における解脱への道』に掲載された論文「禅定の文脈におけるアーラヤ識」では、禅定の実践において経験される喜と楽の感覚を手掛かりとして、修行による心身の転換を支える生理的基盤としてのアーラヤ識の側面を論じた。これは、本プロジェクトの本年度における最も中心的な成果である。次にアーラヤ識説の解明のためには、それと不可分である種子説の解明が不可欠であるが、それは文献成立史のなかで検討されなければならない。そのため、種子説に関する重要な資料である『成唯識論』の成立問題を検討して英語と中国語で発表した。本文献は伝統的には玄奘が十師の註釈處をまとめたものと信じられてきたのであるが、本論における種子の起源をめぐる議論は、チベット訳で伝わるインド文献『摂大乗論分別秘義釈』ならびに『瑜伽師地論釈』に類似した議論が見出されることからみて、必ずしも玄奘自身がインドにおける異説をまとめて提示したものと考える必要はないようである。『成唯識論』と類似した未知のインド文献が存在した可能性も考慮に入れなければならないであろう。さらに種子説に関する同時因果と異時因果の問題を検討する論文を、『駒澤大學禪研究所年報』に発表した。『摂大乗論』や『成唯識論』における完成された瑜伽行派の種子説では、種子と現行の間の因果関係は同異因果(「三法展転因果同時」)とされるのが通念ではあるが、このような説はアーラヤ識説の導入により可能となったもので、それ以前は、前の瞬間の法が後の法の原因となるとき、先行するものを「種子」と呼んでいたものと思われる。このような教理史的展開を踏まえて種子説を理解していくことが必要であろう。
3: やや遅れている
上記の通り、邦語・外国語による論文の執筆と刊行は順調に進行しているのであるが、その反面新型コロナウィルスの感染拡大により、発表が予定されていた国際学会はすべて中止となり、不慣れなオンライン授業対応に時間を要したこともあって、例年と較べて研究の進捗に些か遅滞を生じていることは否定し難い。国際学会の開催が難しい状況はまだ暫く続くであろうが、大学の方は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあり、幸い研究期間の一年の延長もお認め頂いたので、残された一年でさらなる研究の進展を図りたいと考えている。
引き続き瑜伽行派の文献研究を進めてアーラヤ識説、およびそれに関連する諸概念のもつ実践的意義の解明を推進したい。2021年度後半には、中国で開催予定の学会でアーラヤ識説の実践的背景に関する発表を行うことも計画されており、実現性は今後の新型コロナウィルスの感染状況によるが、もし実現した場合には、アーラヤ識説のもつ身心論的意義の重要性について中国の研究者との議論を深めたいと考えている。また、私は所属する早稲田大学における「心と身体の関係と可塑性に関する学際的研究」にも参加しており、心理学・倫理学・西洋哲学等の研究者と学際的な議論を進めている。仏教学における学問的議論が文献学の成果をふまえたものでなければならないことはもちろんであるが、それと併行して、これまでの仏教文献学の範囲を越えた学際的見地からの議論も深めていきたいと考えている。
コロナ禍の影響でオンライン以外の学会参加が全く出来ず、そのため出張旅費の執行ができなかった。今後コロナ禍の推移を見守りながら、研究交流を再開していきたいと考えている。
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駒澤大學禪研究所年報
巻: 特別号 ページ: 349-377