本研究は、清末から民国初において知識人全般に見られる中西国民性比較における中国人への否定的評価、西洋人への肯定的評価がいかに形成されたのか、1870年代半ばから日清戦争前後までの宣教師の言説との関係はいかなるものだったのか、という問題を検討することを目的とするものであった。 最終年度の2019(H31)年度(3年目)は、すでに2018(H30)年度に、史学研究会(京都大学文学部内)からの依頼を受け、清末中国の自己認識の形成を知識人の文明観転換および宣教師の中西文化論の影響との関わりで考察した論文(手代木有児「清末中国の文明観転換と自己認識」『史林』第102巻第1号、2019年)を作成・発表したことを受けて、引き続き関連する研究文献の収集・閲読及び関連情報の収集を継続しつつ、本研究で扱った宣教師の三著作のうち宣教師の中西文化論の代表作であり、また中国の儒教経典からの引用の多さ、清末社会の末端への詳細な観察、西洋近代の「文明」社会の詳細な紹介、そしてその背景たるキリスト教教義の紹介などにおいても注目すべき著作であるフェーバー『自西徂東』(21万字)の内容の要約を作成・発表(未完)し研究者に広く紹介した(手代木有児「花之安著『自西徂東』ノート(1)(2)」『商学論集』、88巻3号、2019年、88巻4号、2020年)。 総じて本研究においては、アレン、ファーバーら代表的宣教師の主要な中国国民性批判を整理・分析し、1870年代半ばから日清戦争前後までの鍾天緯、鄭観応、梁啓超らの自己(中国)認識形成にそれが強く影響したことを、宣教師と知識人の著作の比較検討により実証的に明らかにし、従来研究が遅れていた清末中国における宣教師経由の西洋情報の知識人への影響の大きさを明らかにすることができた。
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