研究課題/領域番号 |
17K02256
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
昆野 伸幸 神戸大学, 国際文化学研究科, 准教授 (00374869)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 国家神道 / 誓之御柱 / 筧神道 / 二荒芳徳 |
研究実績の概要 |
研究の2年目にあたる今年度において、活字化に至った研究実績としては、「国家神道」概念をとらえなおすという大きな問題意識のもとに、主に以下の2点の成果を得た。 第一に、戦後日本において「国家神道」の概念を普及するうえで最も大きな影響を与えた宗教学者・村上重良氏の営為を検討し、氏にとって「国家神道」概念が1960年代における反動勢力の動きに対抗するうえでの一種の手段として見出されたものであること、時代状況が変われば有効性も薄れうるものであることを指摘した。村上「国家神道」論に対しては、これまでも批判はなされてきたものの、単に学説史としてではなく、本成果は、村上氏をむしろ歴史学者ととらえ、1950年代以降の氏の営為を実証的にたどることで、戦後知識人論として論じた。この成果によって、改めて「国家神道」概念を鍛えなおす必要性が明確化した。 第二に、これまで「国家神道」の研究と国体論の研究は有機的なつながりのないまま、分断的におこなわれてきた現状を踏まえ、両者の研究を接合するための分析視角を模索し、その試みとして戦時中のスローガンとして有名な「八紘一宇」をとらえなおし、近代の神道思想家や二荒芳徳の議論を分析した。従来「八紘一宇」は侵略を正当化するイデオロギーとして、否定的な意味合いをもって分析されてきたが、搾取・抑圧の実態との乖離という視点からではなく、いわば方法としての「八紘一宇」という視座の試みである。その前段階の成果として、大正期において神道思想家、すなわち神道的国体論を唱えた人々が自己の思想を再編し、その結果、「八紘一宇」論に帰着したこと、文部省批判を意図した二荒の議論の独自性などを指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究の2年目においては、各地に残る「誓之御柱」を悉皆調査し、建設された地域の事情を踏まえたうえで、「誓之御柱」の果たした意味を検討する予定でいた。 「誓之御柱」建設の思想的背景をなす筧克彦の資料も収集がほぼ済み、実際に「誓之御柱」建設に携わった水上七郎や二荒芳徳の資料収集もほぼ終え、文献資料に基づいた彼らを中心とした筧学派の思想の分析も進んでいる。筧という強烈な個性をもつ独特な思想家を中心に、彼の大学での教え子を基本とする、彼の影響を強く受けた同志たち(官僚や政治家、教員が多い)がゆるやかにつながる思想団体が形成されていたことがうかがえる。ただ残念ながら所属する大学において出張のしにくい委員になったこともあり、滋賀県多景島、秋田県男鹿市寒風山上の「誓之御柱」など現存するいくつかのものについての実地検分はできたものの、悉皆調査にまでは至らなかった。 また水上七郎や二荒芳徳ら筧学派が精力的に建設した「誓之御柱」について、愛知県での建設事例が最多にもかかわらず、これまでその理由については不明とされてきたが、その理由に関して新史料をもとに仮説をたてることができた。筧神道の社会的広がりを考えるうえで、一つの手がかりを提供できるかと思われるが、いまだ史料の収集が不十分で、論文としての成果としてはまだ結実する段階には至っていない。 以上のような現状を踏まえて、やや遅れていると総括したが、今年度中に挽回できると判断している。
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今後の研究の推進方策 |
水上七郎や二荒芳徳ら筧学派は、各地に「誓之御柱」を建設していったが、これまでの研究では主に、1926(大正15)年4月、滋賀県琵琶湖多景島に建てられた巨大な「誓之御柱」をめぐって検討がなされてきた。しかし、筧学派が建設した「誓之御柱」はこの多景島のものが最初ではない。おそらく最初の柱は、滋賀県ではなく、愛知県で建てられたと推測され、「誓之御柱」の建設が最も多いのが愛知県であることと無関係ではない。今後の研究としては、「誓之御柱」建設をめぐるごく初期の黎明期について、愛知県における筧神道の広まりにも留意しながら、その実態について解明していく予定である。そのためにもいまだ不明な箇所も残る愛知県内の「誓之御柱」の現地調査をさらに重ねるとともに、愛知県の地域史料の調査・収集に取り組む予定である。 このような「誓之御柱」をめぐる事例研究を踏まえ、筧神道の社会的広がりの実態から、地域社会と近代神道とのつながりについて実証的に明らかにする予定である。もちろん地域社会と神道・神社をめぐってはこれまでも貴重な成果が積み重ねられてきたが、ある意味で特異ともいえる筧神道がなぜ特定の地域でまがりなりにも浸透したのか、その疑問に答えることには研究史的意義があると思われる。 最終的には、政府や中央官僚といった「国家」レベルではなく、地域社会の側からとらえることで、これまでの「国家神道」概念をとらえなおし、国体論研究との接合をも視野に入れたうえで、総合的な像を描き出すことを目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
予算使用の締切間際に、古書店より購入を予定していた重要な資料があったものの、古書店側の事情で(当該資料が行方不明)、購入できなかったため、その分の予算額が浮いたため。次年度に新刊の学術書の購入に充てる予定である。
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