最終年度にあたる今年度において、活字化に至った研究実績としては、近代における神道的観念の表象という大きな問題意識のもとに、主に以下の3点の成果を得た。 第一に、これまで「国家神道」の研究と国体論の研究は有機的なつながりのないまま、分断的におこなわれてきた現状を踏まえ、両者の研究を接合するための分析視角を模索し、その試みとして「神道的イデオロギー用語」として有名な「八紘一宇」をとらえなおし、近代の神道思想家や二荒芳徳の議論を分析した。いわば方法としての「八紘一宇」という視座の試みである。 第二に、水上七郎や二荒芳徳ら筧学派が精力的に建設した「誓之御柱」について、愛知県での建設事例が最多にもかかわらず、これまでその理由については不明とされてきたが、その理由に関して筧克彦と修養団との関係から説明した。筧本人のみならず、二荒や守屋栄夫ら筧学派の人物は修養団との関係が深く、とくに彼らと水上は修養団愛知県支部の主要な人物と密接な人脈をもち、支部主催の講習会を契機に愛知県に筧の思想が普及されたことを実証した。筧神道の社会的広がりを考えるうえで、これまで看過されてきた修養団という一つの手がかりを提供できた。 第三に、楠木正成という湊川神社の祭神にして、戦前の日本において臣民の模範として称揚された人物が、近現代においてどのような表象をされたのかについて、1930年代から2010年代という比較的長期の視座から分析した。戦前においては、正成が臣民の模範とされるにしても、日本人であればだれでもなれる模範なのか、あるいはだれでもなれるわけではない理想なのかをめぐって、本来相容れない議論が併存していたこと、戦後も「楠公」顕彰論は1950年代には復活し、1960年代半ばには本格化すること、ただしそれ以降はやや沈滞し、2000年代以降に再び盛り上がるという大きな傾向について概略を示した。
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