研究対象である『葉隠』写本に対する翻刻、および訳注作成作業について、前年度までに予定していた全行程を完遂し、その成果を『新校訂 全訳注 葉隠』(講談社学術文庫)として刊行したことを受けて、最終年度は、研究代表者・栗原が、上記の成果を踏まえた『葉隠』の思想内容に対する分析に着手し、その結果を雑誌論文として公表した。これは、『葉隠』の思想を凝縮したものとみなされる「聞書第一」第二項を取りあげ、同項に示された、鍋島武士にとって理想的な戦闘のあり方と死への覚悟について、考察したものである。そこには、『葉隠』が成立した時代状況に根ざした、ある種異様な過激さを認めることができるが、他方で「聞書第一」第二項においては、同じ死の覚悟によってこそ、家職に従事する平時の奉公もまた、「恥」なきものとして全うされるのだ、とも説かれている。『葉隠』が説く理想的な戦闘と奉公(あるいは死と生)のあり方をめぐり、両者の間に大きな矛盾が存在していることについては、すでにいくつかの先行研究によって明らかにされてきたが、今回の考察を通じて、矛盾はより深いものとして見出されたと言える。有事および平時を貫く、武士の覚悟と実践のありようを究明していくためには、当の矛盾もしくはそれを何らかの形で処理し得た境地のありようを、近世前期という特殊な時代状況に即したものとして、さらに分析していく必要がある。『葉隠』の思想に対する思想史的位置づけ、およびそれが有する現代的意義の再検討、という最終目的に照らしたとき、道のりは未だ遠いと言わざるを得ないが、3年間の研究はそこへ向かうための、小さくとも確かな足がかりを得るものとなった。
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