幕末維新期の都市下層における孝行の実態を、人別帳データベース分析によって考察した結果、都市下層の大半にとっては、親を介護し最期を看取るという孝行は、看取る側の将来と引き替えにするほどの相当な負担であったという知見を得た。都市下層においては、何もしない・何もできないままに高齢期が過ぎていったといえる。 ここから、日本人としての孝道徳という観念は(あるとすれば)、近世ではなく寧ろ近代以降の国民国家形成と相関するのではとの問題意識がうまれた。そこで、1890年代後半の少年を対象に設定し、彼ら少年における共通意識(われわれ意識)や孝道徳の研究に着手した。今年度は、1890年前後の青少年における道徳観について、彼らに通底する意識や感情(われわれ意識)の特徴、及び貧困の超克を研究した。中心資料は、雑誌『少年世界』である。 われわれ意識は、大日本帝国を欧米列強に比肩すべく一層強大に発展させる次世代の担い手=小国民という自意識や自負心、その役割を果たすために刻苦勉励せねばならないという責任感を特徴とする。 貧困の超克では、『少年世界』読者少年が、当時の日本社会における貧困をどのように把握していたか、彼らの貧困観念を確認した上で、貧困読者少年が自らの貧困をどのよう捉え、何を拠り所にして諒承、超克していったかを考察した。 貧困少年は、一層の刻苦勉励を重ねることで貧困を超克しうると捉えていた。その意味で貧困は観念的である。彼らにとって、困窮のなかでの親孝行、苦学、精勤は、われわれ世界の一員である自からに課せられた(あるいは、我が身に課した)責任であった。しかも、われわれ意識を維持し、われわれ世界の一員に留まろうとする限り、貧困を超克できなかった責任は、自己責任として一身に抱え込まねばならない論理構造である。自己責任は近世からの伝統だといわれるが、貧困少年に近世からの自己責任の系譜を認めることができる。
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