研究課題/領域番号 |
17K02276
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研究機関 | 東京学芸大学 |
研究代表者 |
遠藤 徹 東京学芸大学, 教育学部, 教授 (10313280)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 催馬楽 / 毛利壺邱 / 東洋音楽学会 / 浦上玉堂 |
研究実績の概要 |
本年度は、近世の楽律学の成果の一つとして注目される宮中とは別途に行われた琴士による催馬楽復興の問題を中心に研究を進めた。先ずは琴士による催馬楽復興に関する資料を調査収集・整理した上で、綾小路家による宮中の復興との比較を試みた。琴士による催馬楽の復興は従来は浦上玉堂による「玉堂琴譜」のみが知られていたが、佐伯市歴史資料館に伝来する毛利壺邱の催馬楽譜(「楽道筆記」所収)は、「玉堂琴譜」に先行する復興と考えられる。玉堂は毛利壺邱に大きな影響を受けたと見られ、両者は曲目がかなり一致し、何よりも拍子の解釈が一致している点が注目に値する。また、宮中の綾小路家による復興譜と比較すると、毛利壺邱や浦上玉堂の復興と宮中の復興は拍子の解釈が全く異なっていたことが分かる。 催馬楽の復興に際してこのような二つの解釈が生じた要因としては、典拠の相違、催馬楽観の相違があることが考えられた。歌の家である綾小路家は自家に伝わる歌譜、毛利壺邱は水戸の彰考館で得た平安時代の箏譜、琵琶譜を復興譜の典拠にしたと考えられる。また綾小路家は催馬楽の歌詞が各地の民謡に由来することから風俗歌などを参照して復興を試みたのに対し、毛利壺邱等の琴士は催馬楽の旋律が唐楽等に由来することから、これを詩経国風になぞらえた。後者には詩経に注目した中村惕斎、日本の雅楽は周漢の遺声とする荻生徂徠等によって進展した楽律学の影響がうかがわれる。 その他、近代以降の音楽学にどのように接続するかという問題を追求するにあたり、近代初期の楽律研究に関わる書籍の収集も開始した。そして近代の音楽学会の先駆けをなす東洋音楽学会において、近世の楽律学や近世初期の楽律研究がどのように受け継がれたかを検討した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
近世の催馬楽復興に関する研究はほぼ予定通り進行した。その他、当初は医師による楽律研究書の収集を行う予定であったが、諸般の事情によりこれは次年度に繰り越し、その替わりに近代以降の研究書の収集を開始した。研究の順序が当初の予定と少し異なるが、全体としてはおおむね順調といえる。
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今後の研究の推進方策 |
資料の補足調査を行いつつ、近世の楽律学から近代の音楽学にどのように接続しているか、受け継がれた面と失われた面を明らかにするべく、収集した資料の精読につとめる。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究の順序を少し入れ替えたため、当初予定していた資料調査を次年度に繰り越し、それにともなって資料整理等の謝金も次年度に繰り越した。これらは次年度の早い時期に使用する予定である。
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