アルファベット音名表記法は、オクターヴの枠組みの中での音関係を規定し、音楽を構成する音組織の特徴を明示すると考えられるものだが、その成立過程には未だ不明瞭な部分も多い。本研究では音組織構造そのものが当時どのように認知されてきたのかという観点に注目し、アルファベット音名表記法の成立と音組織構造との関係性を検証することを目指す。特に注目されるのは、9世紀から10世紀頃に成立したとみられるフクバルドゥスの『音楽論Musica』と、作者不詳の 『ムジカ・エンキリアディスMusica enchiriadis』『スコリカ・エンキリアディスScolica enchiriadis』といった理論書である。 平成29年度から30年度にかけて、これらの理論書における音組織とその表記のあり方について比較検討することで、オクターヴの枠組みと、4音のテトラコルド構造との関係性が音組織構造を考える上で非常に重要であることを確認した。さらに、こうした音組織を示す様々な図版に見られる音名の示し方には、同じ論文であっても写本によってかなりの差異が認められ、そこには音の並びに対する捉え方の違いが現れることも明らかとなった。 平成31年度には、比較する写本の図版をさらに増やすとともに、フクバルドゥスらの音楽理論の土台のひとつとなっているボエティウスの音楽理論における音名表記についても視野に入れ、図版における音名表記を検討した。その結果、音の高さの関係と図版における音の並べ方の上下関係には、写本毎にかなりの違いが認められ、音の並べ方(高い音から低い音に向けて並べるのか、あるいはその逆か)や音組織の捉え方を考える上で、重要なポイントになる可能性が明らかとなった。アルファベットの音名表記の成立に関し、この音の並べ方の方向性を、音組織を考えるときの要素として注目すべきである。
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