研究課題/領域番号 |
17K02309
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 教授 (90261792)
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研究分担者 |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 河北地方の唐前期造像 / 南宮後底閣遺址 / 柏郷県崇光寺址 / 曲陽修徳寺址 / 雲居寺三公塔周囲の唐白玉塔 |
研究実績の概要 |
本年度は中国河北地方において、650年代から750年代初頭までに彫り出された造像の様相を、南宮後底閣遺址出土白玉如来造像、柏郷県崇光寺址出土白玉如来坐像、曲陽修徳寺址出土白玉如来造像および雲居寺三公塔周囲の唐白玉塔如来坐像を取り上げ、またそれらと山東や山西地方など、他地方、地域の造像との比較分析を通して考察した。650年代の河北地方では、際立った特徴を持たず他地方との結びつきも明確でない像が彫り出された。660年代には、両膝を持ち上げるが裳懸座を持たない保守性を示すものの、如来坐像の片方の胸に皺を刻み筋肉表現を有する進取性をも備えた像が出現する。それには両膝を持ち上げるだけでなく、台座束腰周囲に粒を縦に並べる丸彫りの柱を配するなど690年代の山東地方の造像との繋がりが認められた。造像の肉体表現に大きな変化が起き、写実的な表現がなされるようになった則天武后期直後、均整の取れた、写実性においてもっとも高い水準の像が彫り出された。そして720年代に、身体の均整を壊す造像が出現し、しばらくそれ以前の様式、形式を継承する像と併存する時期が続く。だが750年代以降は、筋肉が緩み弛んだ肉体を好む傾向の強まったことが理解される。バランスのとれた瑞々しい身体の像が理想とされた時期が短かったのは、技術的に則天武后期終了直後の水準を超えることが難しくなったことに起因すると考えられる。また則天武后やその時期の文化に対する反発や玄宗時期の文化の爛熟などが、均整を崩し、肥満した像を好む潮流を造り出したに違いない。これは、山東地方や山西地方に見られる唐時代前期造像の様式、形式の変遷とほぼ同じであり、それゆえ河北地方の造像は、他地方、他地域と同様、首都西安仏教造像の様相をある程度正確に反映し、作品数の不足からよくわかっていない西安造像の理解に重要であると考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、仏教美術が最高潮を迎えた盛唐時期(705~755)に中国各地で展開した仏教美術の様相に注目し、統一様式としてのいわば「古典様式」が成立した後の仏教美術の展開を明らかにすることを目的とする。中国仏教美術の頂点は、8世紀初頭、則天武后退位直後に出現した。だが盛唐時期の頂点はもうひとつあり、則天武后期直後を盛唐前期の頂点とするのであれば、8世紀中頃の西安安国寺造像が造られた時期を盛唐後期の頂点と見做すことが可能である。だがこれまで、いかなる過程を経て西安安国寺出土造像のような様式、形式の像が出現したのか、またそれらと他地方の造像との関係について研究されたことはなかった。そこでこの二つの頂点を持つ時期およびそれぞれの頂点を仏教美術史の中に位置づけ、その特質を明らかにする。本年度は、河北地方の様相を中心に研究を進めた。曲陽修徳寺趾出土造像など、これまでよく知られている作品だけでなく、南宮後底閣遺址出土白玉如来造像、柏郷県崇光寺址出土白玉如来坐像などを調査ししたことが、河北唐前期造像の様相を明らかにし、それらの造像様式、形式の変遷は、首都の西安造像の様相をかなり正確に反映している可能性が高いことを明らかとした。また、成都、南京、そして桂林に残された唐前期造像の調査をおこなった。とくに成都では、四川博物院や成都市博物館、四川大学など四川地方の博物館や大学に収蔵されている単独像を中心に四川地方の仏教美術資料収集およびその整理をおこなった。これにより8世紀初頭から中頃における四川地方出土の単独像、造像碑の様式、形式変化の様相を明らかにすることができた。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は、敦煌莫高窟の8世紀初頭から中頃の石窟造像を主たる対象として研究を進める。現地調査を数度おこなうことで、敦煌莫高窟8世紀初頭から中頃に造営された窟に残された造像の悉皆的な調査をおこない、資料取集に務める。そこで得られた知見をこれまでの蓄積と併せ、8世初頭から中頃の敦煌莫高窟唐前期諸窟の編年を試みる。敦煌莫高窟の塑像は、多くが近世の重修により原型を留めず、これまで研究が進んでこなかった。そのため研究代表者は、これまで壁画に描かれた浄土変相図を対象にその変遷過程からそれらが描かれた窟の編年をおこなってきた。この時期の代表的な塑像を有する窟として、第328、45窟などが知られている。しかしそれらの造営時期さえ未だ確定しておらず、いくつかの異なる意見が存在している状況にある。そこで敦煌研究院の助力を得て現地調査をおこない、それら代表窟だけでなく、これまで写真が発表されていない造像を多数調査することにより、できる限り多くの、原型を多く留める塑像を実見し、それらに関する様式、形式に関する情報を得ることで、敦煌莫高窟唐前期諸窟の正確な編年をおこなう。そしてそれを代表者が以前壁画でおこなった編年結果と比較することで、補正をおこない、敦煌莫高窟8世紀初頭から中頃の造像の特徴、またその時期の様式、形式の変遷がどのようなものであったかを明らかにする。その成果を筑波大学および敦煌研究院で研究会を開き発表する。そこでの討論の結果を踏まえ、問題点を修正し、さらに編年の精度を上げていく。またこれらの作業と並行して、蘭州を中心に甘粛省の他の地域の石窟、博物館の調査をおこなうことで、敦煌莫高窟盛唐窟を中心とした甘粛地方における仏教造像様式、形式変遷の様相を明らかにできることが期待される。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成29年度招聘を予定していた研究者が、諸事情により来日できなくなり、その招聘費と日本における研究会開催費、また日本における共同調査をおこなうことができなくなった。平成30度は、すでにその研究者のビザがおり、5月来日することが決定しているので、平成29年度使用できなかった金額すべてを使用することに問題はないと考えられる。また平成30年度は、すでに調査先との打ち合わせも済み、調査の日程も決定していることから、助成金の使用計画に変更はない。
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