研究課題/領域番号 |
17K02309
|
研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
八木 春生 筑波大学, 芸術系, 教授 (90261792)
|
研究分担者 |
小澤 正人 成城大学, 文芸学部, 教授 (00257205)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2021-03-31
|
キーワード | 盛唐仏教美術 / 敦煌莫高窟 / 龍門石窟 / 炳霊寺石窟 / 天龍山石窟 / 河北仏教造像 / 山東仏教造像 / 四川仏教造像 |
研究実績の概要 |
本年度の研究は、唐時代前期(618-755)を通じて造営がなされた敦煌莫高窟や炳霊寺石窟、また山西、山東、河北地方における同時期の紀年銘像を中心に、その様相を概観し、これまでの調査を基に、まとめの作業を行った。720年代後半以降、中国華北地方各地で類似した形式の像が見られるようになる。その如来像には大きく、上半身の肉付きが良く量感があるAグループと、上半身の厚みや起伏がほとんど見られないBグループの2種類が存在する。またこれらに対して、則天武后期及び中宗・睿宗時期の形式を継承する像も僅かだが見られる。それをCグループとする。Aグループはさらに3つに分類でき、A①組は上半身がブロック状で、広く開いた胸元の袈裟の撓みで胸筋を表す。A②組はA①組と類似し、上半身がブロック状だが、発達した胸筋が盛り上がり、その輪郭を示す皺で表される。A③組に肥満するだけでなく筋肉の緩みを感じさせる。Bグループは2種類存在し、B①は上半身の厚みや起伏がほとんど見られない。B②組に含まれるのは、上半身に厚みがあるものの扁平で、やはり起伏がない。開元時期より前の造像形式を継承するCグループも三つに分かれ、C①組は肉体を袈裟に隠す。C②組は、肉の存在は看取されるが、その起伏がはっきり示されない像で、これらはどちらも、則天武后期及びそれ以前の造像との関連が認められる。そして中宗・睿宗時期の造像との繋がりを指摘できるのが、C③組である。それゆえこの時期華北地方各地の造像形式には、やはり統一性がないように思われる。しかし、華北地方の東部と西部で同様の形式が、ほぼ同時期に見られることは、仏教文化の中心となる場所があり、そこから発信される情報が、各地にすぐに伝播する状況にあった可能性を示している。その中心となる地方は、おそらく西安であり、現在各地から出土する造像の状況は、西安造像の多様性を示すことを明らかにした。
|