本研究は、2019年度が最終年度の予定であったが、コロナ禍等の社会的な状況により、アーカイブの閉鎖等による海外とのやり取り、文献の到着に遅延が起こったことから、少額の予算を2020年度に繰り越し、余裕をもって全体のまとめを行った。 2019年度末までに、イエール大学において、アディソン・ヴァン・ネイムが1871年から中国語と日本語を教え、1876年には古生物学者のオスニエル・チャールズ・マーシュの寄付により2700点に及ぶ日本の木版本が収蔵されたことが分かったことから、2020年度はこの点について文献調査を行なった。マーシュ寄贈について、2019年に発表されたウィリアム・フレミング氏の最新の論文を確認し、マーシュが日本に関わる書物の収集を目的として500ドルを寄付し、それをもとにネイムがコレクションを進めたことが分かった。また、収蔵にあたって佐土原藩出身の留学生、日高次郎(児島章吉)や1867年にラトガース大学に学んだ日下部太郎との出会いをきっかけに、御雇外国人として1871年に来日したウィリアム・グリフィス等が関わっていたことが明らかとなった。 以上のように、コネチカット州のニューヘイブンには1860年代末から日本人留学生が学んでおり、少なくとも1870年代の初めには、日本語の習得や、日本文化についての知的好奇心を持つアメリカの人々がいたことが分かる。1890年代になると、コネチカット州のコス・コブ芸術コロニーにおいて、江藤源次郎が、J.McN.ホイッスラーやジャポニスムの流行に影響を受けたJ.H. トワークトマンらと交流を持ち、アメリカン・トーナリズムの表現に関わったが、その背景には、留学創成期に多くの若者がコネチカット州を学びの地に選び、異文化を受け入れる土壌が整っていたことが明らかとなった。
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