江戸時代後期から戦後までの綴織の発展の流れの中で、ターニング・ポイントとなった三つの時期の作品の材質・技法・表現と外来要素の受容がどのように関連していたかを明らかにすることを目的とした本研究では、(1)江戸後期、(2)明治から昭和初期、(3)第二次大戦後を代表する作例や制作者に関して、一次史料、現物資料、作家へのインタヴィューを通して調査を行った。 その結果、江戸時代の末に日本人は中国の綴織とフランドルの綴織を模倣していたこと、そのうち中国の綴織を技法の基礎基盤として選択し日本独自の表現に向かっていったことが浮かび上がった。 また、明治期を代表する川島甚兵衛二世の仕事は、日本の要素にフランスの要素を加えて発展させたものと見られることが多かったが、綴織の発展史の一部としてその仕事を俯瞰的に考察した結果、中国、日本、フランスの要素を複合して独自の表現を形成しようと試みていたことが浮かび上がった。 さらに戦後作家の小名木陽一は、ヨーロッパの動向に触発されて新しい表現に向かってゆくにあたり、ヨーロッパや日本のみならずイスラムやアンデスといった複数の染織文化の要素を独自の形で混交させ、それがヨーロッパの作家には見られない独自の表現を展開する要因の一つになっていたことが見えてきた。 以上の結果は、7件の雑誌論文と5件の国際学会における発表を通して公開した。江戸後期の綴織は日本の祭礼に複数伝来しているが、それらは基準となる重要な作であるにもかかわらず、今まで本格的に調査されたことがなかった。本研究にはこのような作例の調査も含まれており、後の研究者に研究の基礎基盤を提供するものである。江戸時代を含む綴織の展開は日本の染織史の上で重要な問題であるが、調査が難しいためなかなか手がつけられて来なかった。本研究は日本の織物発展史のみならず、工芸の国際交流史の上でも意義を有している。
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