研究課題/領域番号 |
17K02333
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研究機関 | 安田女子大学 |
研究代表者 |
増田 知之 安田女子大学, 文学部, 准教授 (60559649)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 書法史 / 清代 / 皇帝 / 文化政策 / 法帖 |
研究実績の概要 |
本研究は、中国清代、特にその最盛期の康煕年間から乾隆年間において、清朝皇帝らが推進した書に関する文化政策(「書文化政策」と称することにする)によって中国の伝統的書文化がいかなる展開・変容を遂げたのかを明らかにしようとするものである。本年度は、これまでの研究代表者による康煕帝の法帖刊行事業に関する研究成果をふまえ、乾隆帝の勅命によって刊行された『三希堂石渠宝笈法帖』をはじめとする諸法帖の刊行に関する調査・分析を行った。『三希堂石渠宝笈法帖』に刻入された諭旨の中で乾隆帝は、歴代法帖の中でも北宋太宗により刊行された『淳化閣帖』を最高のものとして位置付けた上で、本帖を「書学の淵源を昭らかにし」、「臨池の模範を示」すために、「天下に公に」すると高らかに宣言している。また、刊行事業に携わった梁詩正ら臣下も、本帖は刻入書跡の豊富さや審訂の精確さにおいて、中国書法史上に燦然と輝く唐宋両代を「超越」したとする。つまり、『三希堂石渠宝笈法帖』の刊行事業から、皇帝の権威性のもとで改めて「書学の淵源」、「臨池の模範」を明示することによって、それまでの「典型」であった唐宋両代をはるかに超越した書文化を現出させようという意図、康熙帝には認められなかったいわば国家的な「書文化支配」への意思を読み取ることができる。かような刊行態度は、その後に続けて刊行された『墨妙軒法帖』や、オリジナルを「校正」し釈文や帝の校勘記まで付刻した『欽定重刻淳化閣帖』にも看取し得る。更に、如上の「書文化政策」は、民間における「法書」やその他書跡の収蔵状況にも少なからざる影響を与え、結果として銭泳が『履園叢話』において明快に指摘するような、「法とすべからざる」書跡や「書家に非ざる」人物の書跡が「法帖」として集刻されるといった法帖の「質的変化」を招来したとも考えられる。また、これら研究成果の一端を論文や口頭発表において公表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
乾隆帝による法帖刊行事業に関する調査・分析を通じて、「書文化政策」の目的・意図を把握することができ、また、その成果の一端を論文や口頭発表において公表することができた。
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今後の研究の推進方策 |
次年度はまず、清朝皇帝の「書文化政策」によって、民間における書をとりまく文化的状況がいかなる変容を遂げたのか、その実態をより一層明らかにすべく、馮銓『快雪堂法書』・梁清標『秋碧堂法書』等から銭泳による一連の刻帖活動、また呉栄光『イン清館法帖』等におよぶまで、民間での法帖刊行事業について広汎な調査・分析を試みる。また、種々の文献史料を博捜して、「書文化政策」に対する評価(必ずしも明言はされないであろうが)や民間における書文化の実態等についての言説を収集し、より複層的・多角的な分析を行う予定である。更に、中国における資料調査も予定している。
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