19世紀末から20世紀初頭にかけて海外で公演をおこなった日本の巡業劇団が果たした役割には計り知れないものがある。そのような巡業劇団のうち、川上音二郎・貞奴夫妻の一座については、夫妻がのち日本演劇界でも活躍したこともあり、研究が進んでいるが、海外で〈女優〉としてデビューし、20年近くにおよぶ活躍ののち、日本に帰国し以後舞台に立つことのなかった〈マダム花子〉については、関係資料が海外に分散しているため、まとまった研究がなされていなかった。 よって本研究では、海外に点在し、個別に考察されてきた〈マダム花子〉一座に関する資料を可能な限り収集し、その実態および一座の演劇におけるジャポニズムへのかかわりを明らかにすることを目指した。 花子一座が拠点としていたことからもっとも豊富な資料が現存している英国、および、これまでその公演の状況が分かっていなかったアメリカにおける資料を多数入手でき、紹介できたのは、本研究における収穫であった。そうした資料により、花子は国際的に活躍するアーティストのマネージメントを請け負うエージェントと契約を交わして諸国で興行していたことが分かった。もと芸者であった花子は、ロイ・フラーという敏腕興行師に見出されて成功をおさめていったのだが、フラー以外のエージェントともその都度契約することで、長きにわたって海外で興行を続けることができたのであった。このような研究成果は書籍『マダム花子』(論創社)にまとめて発表した。 さらに、少なからずの在外邦人が彼女の活動を助けていたことが判明したので、そうした当時の在外邦人(コミュニティー)についての調査を進め、本年(最終年度)論文にまとめた。その論文を執筆中、花子が(ロシア)パテ社製作の映画に主演していたことが新たに分かったので、その映画についても研究会において発表をした。今後はこの映画についての調査を進める予定である。
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