研究課題/領域番号 |
17K02366
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
米村 典子 九州大学, 芸術工学研究院, 准教授 (30243976)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 少女マンガ / スタイル画 |
研究実績の概要 |
「スタイル画」は,先行する研究では,少女マンガが少年マンガと袂を分かち独自の表現様式の発展を遂げていく大きな契機の1つとされてきた.その「スタイル画」について,平成29年度は,創始者とされる高橋真琴が1950年代末から60年代初めに月刊誌『少女』に掲載した作品を中心に検討を行った.高橋の連載では「スタイル画」ではなく「スタイル絵」という言葉が主に使われているが,それは高橋の絵を真似て描いた読者の絵を指していること,高橋の「スタイル絵」は読者に募集した全身の「似顔絵」を描く懸賞の手本であったことなど指摘をした.しかし,ここで明らかにしたのは『少女』という雑誌を拠点とした高橋真琴の事例であった. 平成30年度は,『少女』のライバル誌『少女クラブ』において同時期に進行していた状況について調査分析し,「<スタイル画>の系譜 ─ 雑誌『少女クラブ』の場合」と題する論文にまとめた(『芸術工学研究』Vol. 30,2019年.査読有).当時の『少女クラブ』編集者丸山昭の回顧談における「スタイル画」への言及では,その嚆矢とされてきた高橋真琴の名前はなく,戦後の復興期に「オシャレ」を求めるようになった読者の関心に応じたのがスタイル画の起源とされている.これを出発点として,これまでにない視点として,「オシャレ」をキー概念として,懸賞のための手本ではない「スタイル画」の系譜の可能性を指摘し,揺籃期における「スタイル画」概念の多様性を明らかにした.主として『少女クラブ』に掲載されたちばてつや,東浦美津夫,細川知栄子らの作品を取り上げて論じ,男性の少女マンガ家であるちばおよび東浦と,その少し後に連載をはじめる女性の少女マンガ家である細川との間の断絶を指摘し,『少女』においては「オシャレ」を意識した後者こそが,後年の少女マンガ研究における所謂「スタイル画」概念と結びつくことを指摘した.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成30年度は,計画をほぼ達成した.1960年代の少女マンガの基盤が形成された1950年代末から1960年代初めまでの状況について,当時の主要雑誌であった『少女』と『少女クラブ』,さらに『少女ブック』,『少女サンデー』を,国立国会図書館をはじめとする機関で可能な限り創刊号からすべて調査した.その調査結果に基づく研究結果を「<スタイル画>の系譜─雑誌『少女クラブ』の場合」と題して発表した. 第二次世界大戦後から1960年代前半にかけて出版された十代前半の少女向け月刊誌の調査研究は完了しが,これらは1963年頃にほぼ廃刊となり,主流が『少女フレンド』や『マーガレット』をはじめとする週刊誌とその別冊に移行した.平成30年度後半には,論文の執筆と並行してその調査を開始したが,対象の号数が非常に多く当初計画よりやや遅延している.
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今後の研究の推進方策 |
最終年度に当たる平成31年度は,過去2年間の調査研究によって明らかにした従来とは異なる少女マンガの「スタイル画」の起源や概念を,1970年代に開花するとされる少女マンガの視覚的表現に向けての1960年代後半における発展を検討する. 研究遂行上の課題として,平成30年度後半の調査では対象となる雑誌の数が一挙に増えたことが挙げられる.調査はおもに東京の国立国会図書館と大阪の大阪府立中央図書館国際児童館に赴いて実施してきたが,調査に避ける日数の限界があるため,時間不足が懸念される.そのため,平成30年度後半に実施した調査に基づき,ポイントとなる作品と作者を絞り込んで調査対象を減らすこととする.また,現在までの調査では1960年代中頃以降の「スタイル画」出現率が想定外に低いため,むしろ後年に「スタイル画」の果たした役割についての神話化が生じたのではないかという疑問を抱くに至った.そこで,マンガ家や編集者の当時のインタビューや「スタイル画」の描き方とマンガの入門講座なども分析対象とし,「スタイル画」から1971年代の複雑に重なり合う独特の構図構成への架橋を目指すこととする.
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次年度使用額が生じた理由 |
【次年度使用額が生じた理由】人件費の工夫や,購入図書資料の吟味などにより,当初計画より経費の節約が出来たため.
【使用計画】当初計画より調査対象が多くなったため,資料調査のための旅費にあてる.
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