本年度も、ドイツ連邦公文書館に所蔵されている各地の放送局間の交信文書に関して、当館より入手したマイクロフィルムを用いて調査を行った。重要な演奏家や行事をピックアウトすることがこの調査のメインである。この調査の主な目的は、当時のラジオ番組制作の際、ベルリンの本部と地方局のあいだでどのような手続きが行われ、放送にこぎつけるかについて、情報を得ることである。現時点では、入手した資料の8割以上のチェックが終了している。本研究の期間中に読み切れなかった資料については、引き続き、調査を続行中である。 本年度は、この調査結果と、当時の新聞や未刊行の文書等から得られた情報をもとに、クレメンス・クラウスがベルリンにおいて行っていた音楽活動について論考を発表した。この論考においては、彼がベルリンの楽壇と関係を構築するにあたり、商業用レコードの制作やラジオ放送が重要であったことを示した。この考察の過程で、1934年のヒンデミット事件について、クラウス側の視点から資料を読み直すことにより、新しい見解が得られたことも付記しておきたい。 本年度は、上記に加え、1944年下半期のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の活動に関する研究成果も公表した。ドイツにおけるこの時期においては、劇場が閉鎖され、ラジオ放送の重要性が増していた。このような状況下で、クラウスは、特にウィーンにおいて積極的に活動を行っていた。今回の研究論文においては、期間を1944年8月末から10月に限定し、この間にウィーン・フィルが関与したラジオ放送関係の活動を網羅的に検証した。収録日時に関する批判的検証、放送日の特定、番組の演奏評などをもとに、このオーケストラの活動がナチスのプロパガンダにおいてどのような役割を果たしていたか、その一端を示した。
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