本研究課題の最終年度にあたる本年度においては、これまでの研究の統合を図り、研究業績の出版による公表に向けて、執筆、調整を行った。具体的内容としては、モダニスト文学における感覚麻痺の表象、あるいは社会的共感性を受け入れない無感覚の表象に込められた、策略的な意義を考察する論文を公表した。 さらに、海外調査を行い、2021年度実施予定の以下の項目について、イギリスの図書館(British Library)において文献調査を実施した。(1)19世紀から20世紀初頭、汚水溜めが保持されたロンドン近郊のクロイドンの事例を文献調査し、モダニズムにおける都市空間幻想と悪臭の表象について考察した。(2)20世紀初頭以降における、悪臭と階級および悪臭の個人化の問題、そして第一次世界大戦と悪臭との関わりを、悪臭払拭の取り組みや消費文化の表象に探り、モダニズム文学との関連において分析した。さらに国内での文献調査により、上記(1)、(2)の点について考察を進め、研究成果を執筆中である。 研究期間およびその前後を通じて、イギリス文学における感覚(嗅覚含む)に関する研究が注目される中での本研究の意義は、1910年から1930年代におけるイギリスモダニズムが芳香、悪臭など様々な嗅覚的表象を意図的に取り入れ、においという感覚に付随する従来の価値観を覆すために戦略的に使用したことを明らかにしようとした点にある。 本研究の重要性は、イギリスモダニズム期における多様なテクストが、都市空間、新しい芸術、第一次世界大戦などの経験により、斬新な感覚や思考をもたらす媒体としての嗅覚表象を生み出している点を評価したことにある。においの多様性、他方でにおいの隠蔽文化が相まって、においの表象とその意味合いは進化しつつあり、文化的な再定義を余儀なくされている現代であるが、その前段階における、嗅覚的表象の構図の一端を明らかにした。
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