2022年度は文献調査に加え、Zoomによる面談などの調査を行った。研究期間全体を通じての調査で明らかになったのは、アメリカにおいてこの作品が広く認知され、読まれているとは到底言い難いということである。 2018年にハワイで『ゲン』の受容に関して現地調査を行ったが、寺院の貸文庫にこの作品が置かれていたり、学校の日本語の授業において部分的に使われていたりする例はあった。またこの作品を教育機関や図書館に寄付することで、原爆の恐ろしさを伝えようと活動した人物もいた。それらはこの物語に心を動かされた日本人がこの作品を広めようとしたものである。その自発的な行動はもちろん否定されるべきではないが、現実にはそれらの活動は非常に局所的、散発的である。ハワイの日系人社会でこの作品が話題になることはほとんどないし、またその存在すら知らない人も珍しくなかった。 またこの作品に描かれた歴史的事象については、それらが事実であったかどうかについての議論はあるものの、少なくとも原爆の、すべてではないとしても、現実の一端を伝えていることは確かであろう。しかしそれはアメリカでは加害者としての罪悪感を引き起こすものであり、容易には受け入れがたいものである。さらにそこで描かれた家庭や教育現場、軍隊での暴力的な描写は、平和を訴えるものであるはずの本作品の大きな矛盾である。その他男性中心的な価値観や固定的なジェンダーロールなど、現代では受け入れがたい描写もこの作品が広く読まれることを困難にしている。 日本でも『ゲン』は平和教育における特別なポジションから後退し、徐々に過去のものになりつつある。それは決してこのマンガの価値が減じたことを意味するわけではないが、今後は他のいくつかの作品と共に原爆の一側面を伝えるものとして、また一つの平和教材として、日本のみならずアメリカでも新たな位置や伝え方を模索していくべきであろう。
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