研究課題/領域番号 |
17K02412
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研究機関 | 信州大学 |
研究代表者 |
渡辺 匡一 信州大学, 学術研究院人文科学系, 教授 (40306098)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 真言宗 / 教義書 / 仏法紹隆寺 / 宝聚院 / 智積院 / 純瑜 / 糸玉抄 / 糸玉集 |
研究実績の概要 |
佛法紹隆寺・善光寺(諏訪市)所蔵典籍の調査・研究を行い、データベースの構築を行った。 新型コロナウィルス感染症の拡大により、現地での見直し作業は中止せざるを得なかった。佛法紹隆寺所蔵典籍の書誌データを、「古文書・聖教データベース」として、一部公開を行った(https://buppou-syoryuji.jp/)。 宝聚院(いわき市)所蔵典籍の調査・研究を行い、データベースの構築を行った。新型コロナウィルス感染症の拡大により、現地での見直し作業は中止せざるを得なかった。 『智山書庫所蔵目録』、『真言宗智山派所属寺院聖教目録』、『真言宗智山派所属寺院史料目録』から『大日経疏』関係資料の情報整理を行い、佛法紹隆寺、宝聚院所存の典籍との比較調査を行った。 戦国時代、奥州磐城の学僧である純瑜(1521-1582)が著した、四度加行の注釈書『糸玉抄』と、伝法潅頂の注釈書『糸玉集』の受容について考察した。初学の僧侶向けに執筆された『糸玉抄』は執筆当初から受容され、江戸時代に入ると本末制度の成立により、地方の談義所の受容が増大することによってさらに広まったこと、地方では行われなかった伝法潅頂について詳述される『糸玉集』は、当初は受容されることがなかったが、江戸時代の本末制度の発展にともない、地方でも伝法潅頂が行われることによって受容され広まっていったことを、佛法紹隆寺、宝聚院所蔵の『糸玉抄』、『糸玉集』の書誌データを中心に論証した(「奥州の学僧 純瑜の記した書物」(『日本文学』70-4,2021年4月)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
理由 新型コロナウィルス感染症の拡大により、現地での確認作業、調査研究が行えなかったため。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、佛法紹隆寺所蔵典籍、宝聚院所蔵典籍の見直し作業を通じて、データベースを完成させ、佛法紹隆寺所蔵典籍の書誌データ全てをデジタルで公開する。 智積院所蔵典籍の調査・研究を行うことによって、江戸時代における教義書の情況を明らかにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
仏法紹隆寺、宝聚院所蔵典籍調査が行えなかったため。 次年度使用額によって、仏法紹隆寺、宝聚院の所蔵典籍調査を行うための旅費等として使用する予定である。
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