著書『清代における日本漢文学の受容』(「南山大学学術叢書」、2022年3月、398頁、汲古書院)の補完として、清末に来日の田桐が著した『扶桑詩話』について検討した。 詩話は古人が詩作を論じ、詩人の事跡を記録する基本的な様式であるが、多くは随筆や札記の形をとり、体系的に整えられてはいない。宋代の欧陽修『六一詩話』に始まり、中国における歴代の詩話は夥しい数にのぼる。清末以降、日本漢詩に言及する詩話もまた陸続と出現した。しかし筆者の知る限り、中国の詩話で書名に「日本」或いは日本の別称を冠するもので、正式に出版されているものは僅かに二つしかない。一つは聶景孺の『桜花館日本詩話』、もう一つは田桐の『扶桑詩話』である。聶景孺の著作については、筆者は別稿にて考察する。田桐の著作については、日本には専門に論じたものは無い。中国大陸では陳春香の専著および宋紅玉の論文に章を設けて検討されており、また台湾の林香伶の論文中にも言及されているが、これらの論述はこの書の内容に対する表層的な評論に留まっていたり、或いはこの書と清末の詩人達の結社との関聯に偏っていたりして、その文献の由来について実証的に追究したものは無く、日本漢詩そのものに対する理解もかなり表面的である。こうした状況に鑑み、田桐『扶桑詩話』の編纂方法および構成の特色について詳細な検討を行い、その日中の漢詩交流史における独特の地位を垣間見ることとした。論文は「中国文人が見た日本漢詩―田桐『扶桑詩話』について―」(査読付き、『東アジア比較文化研究』第22号、東アジア比較文化国際会議日本支部、45-59頁、校正済み)2023年6月刊行予定である。
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