本年度の研究としては、昨年度に引き続き、文運東漸現象の前史としての初代西村市郎右衛門の出版活動、特に料理書を中心に、初代市郎右衛門を含む上方の出版動向と江戸版の諸本調査および比較研究を実施した。 近世における料理書の刊行は『料理物語』(寛永20年)を嚆矢とし、寛文6年頃、現存最古の書籍目録『和漢書籍目録』に初めて料理書が掲載されるが、『増補書籍目録』(寛文10年)までは「仮名類」や「躾方」に分類され、料理書が独立して立項されることはなかった。 しかし、初代市郎右衛門が刊行した『公益書籍目録』(貞享2年)において、初めて「料理書」が独立して立項される。初代市郎右衛門は早くから料理書に着目し、『合類日用料理抄』(元禄2年)を刊行するが、それは日常的なレシピ百科事典とも称すべき料理書であった。それは同時期に刊行された重宝記『家内重宝記』がレシピではなく料理献立に比重を置いた編集であることと好対照であったが、そうした両書の性格の違いは偶然ではなく、それらが相互補完的に誕生した可能性を指摘し、初代市郎右衛門の出版戦略の1つに料理書があったことを明らかにした。 さらに寛文10年頃に刊行された最古の献立集『料理献立集』の上方版と江戸版との比較を通して、上方版の挿絵が吉田半兵衛風なのに対し、江戸版が上方版由来でありながらも菱川師宣の挿絵を増補することで差別化を図り、江戸での商品性を強化する江戸地本屋の出版動向を考察した。 それらの研究成果は「「食」と出版文化-近世前期における文芸と料理書を中心に-」として、『和食文化学入門』(臨川書店、2021年3月)にて公刊された。
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