研究課題/領域番号 |
17K02465
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研究機関 | 東洋大学 |
研究代表者 |
大野 公賀 東洋大学, 法学部, 教授 (20548672)
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研究分担者 |
顧 サンサン 東洋大学, 法学部, 講師 (90802009)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 豊子愷 / 李叔同 / 源氏物語 / 日中翻訳 / 生活の美 |
研究実績の概要 |
本研究は、1920年代後半以降、随筆やイラスト、翻訳など多彩な分野で活躍した中国の代表的知識人であり近代芸術家の一人である豊子愷が、1961年8月から65年9月まで四年余りの年月をかけて完成させた『源氏物語』の中国語全訳に焦点をあて、その意図的改訳および要因を明らかにしようとするものである。 豊子愷は、中国政府による「世界文学の中国語翻訳」という国家プロジェクトの一環として、政府の委嘱を受けて翻訳に従事し、その中国語訳は現在でも台湾の林文月訳と並んで代表的な中国語訳とされている。しかし、原文に忠実な林文月訳とは異なり、豊訳には意訳と思われる点が多い。また、豊子愷は翻訳者としての公的な立場では『源氏物語』を高く評価する一方で、家族への私信では『源氏物語』に批判的な発言をしている。 この豊子愷の公私での態度の相違に、豊の意図的改訳の要因が隠されているのではないかとの考えから、2018年度は主として豊子愷ならびにその芸術・宗教上の師である李叔同(弘一法師 )が生涯にわたって提唱、実践した「生活の芸術」「工芸の美」という思想と『源氏物語』の耽美的かつ貴族的な美意識との相違に着目し、豊子愷らの芸術観の形成に多大な影響を及ぼしたイギリスのアーツ運動、オーストリアの分離派、フランスのジャポニズム等について調査を行った。 その結果、豊子愷ら民国期の芸術系知識人が自己の芸術的良心と近代的国民国家の創生という課題の狭間で苦悩し、最終的に仏教に救済を求めた事が明らかになった。この成果については2018年7月29日の白山中国学会第15回研究発表大会での基調講演「大正日本における断食ブームと李叔同(弘一法師 )の出家」にて報告した。尚、この講演は2018年2月に刊行した『越境する中国文学』(共著・東方書店)掲載の論文「李叔同の出家と断食」を基に、科研費での研究成果を反映させたものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初、2018年度は前年度に完了しえなかった『源氏物語』第一部について、豊子愷が使用した底本や参考書籍、林文月訳、ウェイリー訳等との比較を行う予定であった。 しかし、「研究実績の概要」でも上述したように、2018年度はまず豊子愷の『源氏物語』に対する私人としての批判的認識の要因を明らかにしたいとの考えから計画を変更し、豊子愷およびその芸術・宗教上の師である李叔同(弘一法師)の思想の根底をなす「生活の芸術」「工芸の美」について調査、研究を行った。 豊子愷らの提唱、実践した「生活の芸術」「工芸の美」は単に芸術上の認識、美意識を超えて、彼らの倫理観、思想の一端をなすものである。それが『源氏物語』に描かれたような耽美的かつ貴族的な美意識、芸術観と異なるのは容易に想像がつく。しかし、豊子愷らの「生活の芸術」「工芸の美」という思想は、その形成過程においてイギリスのアーツ運動、オーストリアの分離派、フランスのアールヌーヴォー等の影響を受けており、こうした西洋の「生活の芸術」運動にも耽美的な美意識、要素が存在することもまた否定できない事実である。 この矛盾を解明する上で、西洋的な「生活の芸術」運動と豊子愷らの「生活の芸術」論とを繋ぐ要素として、白樺派や竹久夢二らによる大正モダニズムの影響が考えられる。 2018年度は昨年度に続き、豊子愷の思想と『源氏物語』の意訳について時間を取りすぎたため、2019年度はこの思想方面での研究、特に日本の大正モダニズムの影響関係について調査をすすめ、それと並行して原文と訳文の比較などを実施する。
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今後の研究の推進方策 |
本研究は当初、『源氏物語』全五十四帖について、豊子愷の中国語訳を原文や豊子愷が翻訳に際して利用した底本、参考書籍、台湾の林文月による中国語訳、ウェイリーによる英訳等と詳細に比較し、その相違点、特に豊子愷による意図的改訳と思われる点について考察する予定であった。 しかし、豊子愷が『源氏物語』を個人の意思を超えて、戦後に国家プロジェクトとして中国政府からの依頼に応じて、ある意味ではその依頼を拒否することもままならないような状態で翻訳作業に従事せざるを得なかった事から、豊子愷の改訳の背景について考察するには、翻訳の比較以前に豊子愷の思想的背景について考察することが優先すべき事項であると考えるに至った。 そのため、今後は豊子愷だけではなく、豊子愷やその師である李叔同、夏ベン尊ら、芸術や教育を通じて近代的な国民国家の形成を志向した知識人グループ「開明派」の芸術観、思想について、日本の白樺派や竹久夢二らによる大正モダニズムとの関係、イギリスのアーツ運動、オーストリアの分離派、フランスのアールヌーヴォー、ジャポニズム等との関係から考察する。また、それと並行して原文と訳文の比較を行う予定であるが、当初のように全文の比較を行うのではなく、芸術観や美意識、宗教観等の反映された箇所を中心に進めていきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
2017年度の報告書に記載したように、2017年度に当初予定していた海外での調査を実施せず、また途中で計画の変更などがあったために約40万が未使用であった。2018年度は海外調査や書籍購入などで当初の予定額を超えて使用したが、2017年度の繰越金の影響で2018年度に約20万円の繰越となった。また、そのうち10万円は2018年度から研究分担者に追加された顧サンサン氏が使用する予定であったが、追加時期の関係で2018年度は未使用のままとなっている。 未使用分については、2019年度の海外調査と書籍購入で使用する予定である。
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