本研究の目的は、長年研究者を悩ませてきた『リア王』第一・四つ折り本(Q、1608年)と第一・二つ折り本(F、1623年)の間の膨大な異同発生メカニズムについて、従来とは全く異なる、「Q=編集テクスト」(Qは作者のオリジナル原稿に印刷業者が手を加えて、システマチックに編集されたテクストである)というオリジナルモデルにより解き明かそうとするものである。研究代表者は、Qに見られる編集の痕跡として、発話の対象が誤解されないように台詞の主である頭書きを変更する編集(2017年度)、テクストの前後で矛盾した内容を訂正する編集(2018年度)、文法的逸脱を訂正し標準化する編集(2019年度)と分析を進めてきた。最終年度である2020年度は、古風な単語や珍しい意味の単語を、より一般的な表現に置き換える同義語置換について分析した。『リア王』のQとFのテクストに見られる異同のうち、同義語置換が疑われるケースをリストアップし、それらを詳細に分析した。その結果、同義語ペアのうち、Fの方がより珍しい単語であるか、特別な意味で使われている単語である場合が多いことが分かった。さらに、重要な例をいくつか取り上げて、シェイクスピアの他作品に見られるそれらの単語の使用例と比較した結果、シェイクスピアがもともと自筆原稿に書いたのはFの単語であり、それがQの印刷所関係者によってより一般的な単語に書き換えられた可能性が高いことが明らかになった。研究期間全体を通じて、『リア王』の第一・四つ折り本(Q)と第一・二つ折り本(F)のテクスト間に見られる異同のかなりの部分が、実は第一・四つ折り本が印刷される際に印刷業者によって施された編集に起因することを明らかにすることができ、「Q=編集テクスト」というオリジナルモデルの有効性が極めて高いことを証明することができた。
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