研究課題
当該年度は前年度の遅れから、当初の研究実施計画では2017年度に行う予定であった1830年から1850年の期間における教育と文学の研究を継続して行った。特にディケンズの初期の小説、『ニコラス・ニクルビー』に焦点をあて、ジャーナリストから作家としての地位を築きつつあったディケンズがいかに自らの教育的役割を定義したかを検証した。2018年度中に完成することはできなかったが、その成果は「学校と墓地――『ニコラス・ニクルビー』おける共感の教育」(仮題)としてまとめ、2019年度中に発表したいと考えている。『ニコラス・ニクルビー』はディケンズが執筆前に行ったヨークシャーの学校への取材の旅が原点となっている。本論文では『ニコラス・ニクルビー』に登場する犠牲者としての子供の表象に着目し、ディケンズがいかに公教育の限界を描き、公教育を超えた領域での作家の役割を提示したかを論じる。また、前年度より取り組んできた論文「小説家の使命―共感をめぐるポリティクス」は松岡光治編著『ディケンズとギッシング―― 底流をなすものと似て非なるもの』(大阪教育図書)第4章として発表された。この論文においては、共感の喚起という小説の教育的意義に対するディケンズとギッシングの見解の相違を分析し、その接点と分岐点を明らかにした。両者ともに、小説による読者の教育を通じた社会改革を志した点は共通する。けれども、ディケンズが読者の共感を喚起することによって社会を変革しようとしたのに対し、ギッシングは共感を排除した観察に基づいて貧民を描写し、その実態を知らしめることで社会を変革しようとした。本論文では、以上のことをディケンズの『骨董屋』とギッシングの『暁の労働者たち』を中心に論じている。
3: やや遅れている
前年度から、当初の研究計画からの遅れがあったが、当該年度においても、校務の忙しさに加え、以下の理由からその遅れを完全に取り戻すことはできなかった。1)平成29年度に行った第89回日本英文学会大会英語教育部門招待発表「〈グローバル市民〉育成のための文学教育のあり方」を論文としてまとめ発表するのに、予想以上の時間がかかってしまった(「文学の教材としての可能性――グローバル市民育成のために――」として藤岡克則他編著『ことばとの対話――理論・記述・言語教育――』(英宝社)に所収)。こうした現代の教育における文学の意義を考察する研究は、本研究課題には含まれていないが、本研究の着想に至った経緯には、文学の研究者として、文学の教育的意義を、歴史を遡って探求したいという思いがあった。したがって、こうした研究活動も間接的ながら本研究に役立っている。2)同じく英語教育関連で、映像メディア英語教育学会(ATEM)西日本支部第16回大会シンポジウム「ノンフィクション素材活用法」でのパネリストとして「ドキュメンタリーを使って養う 批判的思考能力」を発表したが、その準備に予想以上の時間がかかってしまった。3)上記「研究実績の概要」に記載した『ニコラス・ニックルビー』と『骨董屋』の論考の骨子をまとめるのに予想以上の時間がかかってしまった。ディケンズの初期作品について、教育との関連で論じた文献は少なく、論文執筆が思うように進まなかった。しかし、当該年度後半にいくつかの参考となる文献を読むことができ、構想をまとめることができた。
令和元年度は、前年度、当該年度の遅れを取り戻しつつ、以下のとおり研究を進めていきたい。1)ディケンズの初期作品における教育と文学を論じた「学校と墓地――『ニコラス・ニクルビー』における共感の教育」(仮題)を完成させ発表する。2)令和元年度後半は、当初の研究計画では平成30年度に行う予定であった、1850年から70年までの期間の研究を、特にディケンズのジャーナリズム『非商用の商人』を中心に検証していく。『非商用の商人』(The Uncommercial Traveller)は、1860年から1869年の間に『一年中』(All the Year Round)に掲載されたエッセイを死後にまとめて出版した随筆集である。この中のいくつかのエッセイで取り上げられる貧民の子供の教育について、後期の小説と関連付けながら検討していきたい。3)この2年間でほとんど扱うことのできなかったギャスケルの小説についても、作品の再読や文献の収集をして、令和2年度以降の研究につなげていきたい。
当初の研究計画よりも遅れが生じていることから、当該年度に割り当てられた助成金をすべて使用することができなかった。次年度に図書購入の費用に充てることで研究の推進に役立てたい。
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