研究課題/領域番号 |
17K02535
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研究機関 | 秋田大学 |
研究代表者 |
村上 東 秋田大学, 教育文化学部, 教授 (80143072)
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研究分担者 |
中山 悟視 尚絅学院大学, 公私立大学の部局等, 准教授 (40390405)
塚田 幸光 関西学院大学, 法学部, 教授 (40513908)
大田 信良 東京学芸大学, 教育学部, 教授 (90233139)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | アメリカ合衆国 / 冷戦期 / 表象文化 / ソフト・パワー / 世紀転換期 |
研究実績の概要 |
前年度に関して記しておくべきことは、ソフト・パワーを享受することで政治的、社会的に影響を受ける日本に焦点を当てた研究をかなりの程度進めることができた点である。大田の論考「ポスト帝国日本の「英文学」」ならびに研究発表「ポスト帝国の「英文学」とG・S・フレイザー――「現代的問題」としての「現代の英文学」の発明」(大谷伴子と共著)、塚田の研究発表“Danchi, Emperor, Terrorism: Nuclear Landscape in the Japanese Films”がこの系列だが、英学の一部として日本に定着した英米文学研究とその教育が国際関係の変化とともに新たな動きを示し現在に至っている際の問題点を探るものとなっており、今後の展開に期待できる。『シネマとジェンダー』(臨川書店)から『アメリカ映画のイデオロギー』(論創社)まで合州国映像表象に軸足を置いていた塚田は『冷戦とアメリカ』(臨川書店)所収の「福龍・アンド・ビヨンド」から進めている核問題と日本を着実に掘り下げてきている。ソフト・パワーの問題は発信する文化圏と受け入れる文化圏との関係が重要となるため、私たちの研究に本来あるべき守備範囲の拡大がみられたことに若干の安堵がある。 小説分野に関しても進捗があり、中山は『エコクリティシズムの波を超えて――人新世の地球を生きる』(音羽書房鶴見書店)に「カート・ヴォネガットのエコロジカル・ディストピア」を寄稿し二年後刊行予定の『ヒッピー世代の諸先輩』(仮題)につながる一歩としたし、塚田はHeminngway研究において「フリークス・アメリカーヘミングウェイ、ロン・チャニー、身体欠損ー」と「クロスメディア・ヘミングウェイ―ニューズリール、ギリシア・トルコ戦争、「スミルナの桟橋にて」―」の二点を活字にしていることも報告したい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
私たちの研究活動において、科研における四人だけの分担・共同作業に限らず、問題意識を共有する他の研究者と行う学会シンポジアムと論文集の編集刊行により、情報を広く共有し、相互に刺激を受けて新たな展開を目指す姿勢を取ることを重要視してきたが、2017年度日本アメリカ文学会全国大会(於鹿児島大学)においてはシンポジアム「対抗文化と伝統、対抗文化の伝統」(司会は村上)を行い、二年後刊行を予定している『ヒッピー世代の諸先輩』(仮題、編集は中山)に寄稿予定の中垣恒太郎、大森昭生、井出達郎の三氏に研究発表をしていただいた。寄稿予定者も揃い、編集準備もはじまっている。ヒッピー文化は文学史に残る作品に乏しいが、過去の文学作品に対し以前はなかった読み方、接し方を示しており、論ずるべき問題は多い。また、Hemingwayの場合、ヒッピー文化との親和性がありながら彼の作品が現在定着している解釈を受けるのがヒッピー文化衰退以後となっており、現在の視点から時代のずれを再考することも必要となっている。2019年度に仙台で開催予定の全国大会ではプロレタリア文学運動を従来とは異なった角度から検討するシンポジアムを組み、こちらも論文集にまとめてゆく。プロレタリア文学は長らく合衆国の文化ナショナリズム、合衆国発信のソフト・パワーから除外されてきたが、日本はまだとはいえ、合衆国では新たな研究の流れが生まれており、機が熟している。 このメンバーによる科研三期目の重点項目に挙げた<世紀末までを視野に入れる作業>の到達点を公表するものとなる『メディアと帝国 19世紀末アメリカ文化学』(仮題、ミネルヴァ書房)の編集作業は遅れているものの、今年度中には刊行できる目途が立っている。この遅れを理由として進捗状況は「やや遅れている」とした。
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今後の研究の推進方策 |
第一点。二期目の取り組み以降、時系列に沿って問題を整理することを念頭に置いているし、三期目の今回は私たちの研究範囲を十九世紀末まで広げることで覇権国家合衆国の文化ナショナリズム、合衆国が日本を含めた世界へと発信するソフト・パワーの全体像を新たな視点から捉え直す作業を続けている。個々の問題、それぞれの時代区分に限っていえば、まとまった成果を示すことが叶ったが、歴史的な流れ、動きを俯瞰した全体像を提示し直すかたちに持ってゆく努力が求められていよう。今後、シンポジアムの企画を皮切りとして総括の作業を考えなければならない。第二点。文化をソフト・パワーとして捉えてゆく以上、ソフト・パワーを発信する合衆国だけではなく受け手となる日本のような文化圏に関する研究を深化させることが望ましい。村上はイスラエルのアジア学会において二十世紀日本表象文化のジェンダー、草野心平、辻井喬を主題とした発表を英語で行ったが、まだ活字にしていない。既に発表したこれらの研究を合衆国ソフト・パワー研究の問題系へと接続する作業と並行して、日本文化に軸足を置いた作業に今まで以上の労力を傾けるべき時であろう。塚田と村上で三島由紀夫を題材としたシンポジアムを構想しており、海外でパネルを組むことになろう。第三点。今までシンポジアムや(刊行予定のものを含め)論文集にまとめた諸問題以外に手薄であった事柄に改めて取り組む必要もあろう。例えばプロレタリア文学だが、冷戦期に葬られたものが復活の兆しをみせており、来年度の日本アメリカ文学会全国大会シンポジアムを契機としてかたちにしてゆく作業をはじめている。
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次年度使用額が生じた理由 |
昨年度分担研究者中山は校務に多大なエフォートを傾注せざるを得なかったため、未使用額が生じたが、今年度で無理なく消化できる。
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