オーストラリアの先住民作家で歴史学者のトニー・バーチ氏を招聘し、東京と京都で研究会を開催した。バーチ氏招聘の目的は、植民地主義をめぐる歴史認識とフィクションとの関係や、過去をめぐる対話を促進する上でフィクションが果たしうる役割について意見を交わし、理解を深めることであった。この研究会で得られた知見と本人へのインタビューを基に論文を執筆した。 植民地時代を描いたいわゆる歴史小説の分野において、ヨーロッパ系作家はリアリズム的なアプローチを採る傾向が強く、時にはフロンティアにおける虐殺が写実的に描かれることもある。それに対して近年の先住民文学は、心理的な傷を亡霊のモチーフや寓話的な語りといった文学的技法を用いることによって、容易には言語化できないものとして間接的に表現することが多い。 バーチ氏の文学はリアリズム的ではあるが、その主眼はアボリジナルの人びとのレジリエンスを描くことにある。バーチ氏は、創作活動を通して先住民の尊厳を表現していると言える。こうしたバーチ氏の文学は、入植者の末裔としての罪の意識とその裏返しとしての和解への願望を色濃く反映した主流派文学とは対照的であり、不当な抑圧に対する異議申し立てという性格の強かった前世紀の先住民文学とも一線を画している。もうひとつの特徴として、オーストラリア植民地化のプロジェクトが実は失敗だったのではないかという歴史認識が織り込まれていることがあげられる。バーチ氏自身が主張しているように、地球温暖化の問題と植民地主義は無関係ではない。バーチ氏の文学は、歴史認識をめぐる議論と地球温暖化をめぐる議論を接続し、ディシプリンの枠を超えた対話を促していく可能性を秘めている。
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