研究課題/領域番号 |
17K02591
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
森本 淳生 京都大学, 人文科学研究所, 准教授 (90283671)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | モデルニテ / 文学場 / マイナー文学 / 周縁性 / 書簡体小説 / 一人称小説 / 自伝 |
研究実績の概要 |
本研究は、農民出身で印刷工の修行を積んだのちに作家となったレチフ・ド・ラ・ブルトンヌを中軸にすえて、文学とモデルニテの関係を再考することを目的としている。2018年度は書簡体小説について資料の読解を進めるとともに、計画書の課題③「自伝とフィクション」について研究を進めた。レチフはルソーの『告白』に張り合うようにして自伝作品『ムッシュー・ニコラ』を執筆した。ルソー的な誠実で網羅的な真実の語りを前面に押し出すこの作品は、しかし事実だけでなくフィクションも含む。1775年の出世作『堕落農民』が典型的に示しているように、レチフは自分の半生を素材としつつもそれを自在に「変奏」することで作品を書いていた。こうした「自伝とフィクション」の混淆は多作の売文家のデタラメなのか、それともそこにはなんらかの意義があるのか──これが問いである。すでに既発表論文において、これを「別バージョンの人生の創造」と読み解いたが、本研究においては、18世紀文学に見られる「農民物」とその関連諸作品を実際に繙くことで新たな観点から考察を試みた。レチフが『堕落農民』を書いたとき、先行作品としてマリヴォーの『成り上がり農民』や『マリアンヌの生涯』、ムーイの『成り上がり農民娘』、マリー=アンヌ・ロベールの『哲学者農民娘』等の農民物がすでに存在していた。レチフは「成り上がり」という社会上昇と有徳性のテーマを「堕落」へと反転させ、上昇の不可能性と悪徳のテーマを前景化させたが、なによりも先行作品の著者たちとは異なり、彼自身が農民出身であったために、すでに豊かな作例を持っていた農民物というジャンルと彼自身の人生とが直接結びつくことが可能になった。レチフはこうして自己の人生を出発点としながら(自伝性)、それを既存の文学ジャンルが開いた様々な物語にならって「変奏=フィクション化」することができるようになったのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2018年度の計画として挙げられていた課題④「自伝的テクストとルポルタージュ言説の相関性」については時間的理由のため残念ながら進めることができなかったが、2019年度の課題である書簡体小説については資料読解で一定の進展を見た。実際、すでに2017年度に読み進めた『父の呪い』、『浮気な妻』、『没後書簡』などだけでなく、『四十歳男』のようなレチフ作品、『ポルトガル尼僧の手紙』、『ペルシア人の手紙』、『ペルー人の手紙』、『危険な関係』など同時代の書簡体小説についてもは読解をすすめ全体の見通しができつつある。したがって、遅れはあるものの全体においては「おおむね順調に進展している」と言えると考える。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの遅れを取り戻すとともに次のテーマにとりくむ。 1)自伝的テクストとルポルタージュ言説の相関性。レチフはある時期からパリのサン=ルイ島の岸壁に日々の出来事を書きつけていた(後に『我が碑銘』 としてまとめられる)。興味深いことに、このサン=ルイ島はレチフが自らの不幸を嘆く極めて私的な場所であると同時に、逢瀬を楽しむ不倫の男女を目撃する場所でもあった。レチフはこうして他者の秘密を観察し、道徳的矯正の名の下にそれを書きつけ、読者/公衆にむけて暴露する。レチフが「夜の観察者」として街を見て回る『パリの夜』は、自己の感情を反芻する場面とともに、こうした密偵的な行動を執拗に描き出すテクストである。こうした他者暴露的視線と自伝的自己暴露がとりむすぶ関係を、メルシエなど当時のテクストも考慮にいれつつ分析する。 2)書簡体小説と監視・窃視の問題。レチフはさまざまな書簡体小説を書いているが、書簡のもつ通信の秘密と、書簡が紛れたり不当に入手されたりして生じる秘密の暴露の問題を徹底的に展開してみせた。『浮気な妻』(1786)はレチフを思わせる夫に隠れて男と交友する衒学的な妻の書簡集という体裁であり、『ムッシュー・ニコラ』には手紙を横取りされることで不幸に陥れられる場面が多く登場する。こうした場面は、18世紀に個人の統御を超えて拡大した近代的メディアのアナロジーとして読むことができる。カントは「啓蒙とはなにか」(1784)において雑誌や書物が形成する読書空間において討論を行うことが理性の公的な使用であると述べたが、同じ時期に理性の統御しえない言語の問題が「彷徨する書簡」という主題を通して文学的に造型されていたと考えられるのではないか。本課題では以上のような仮説を検証することを目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
海外資料調査を行う予定であったが8月に目の手術をしたため、渡航のための十分な時間が確保できなかった。これについては今年度残額も利用して次年度(2019年度)に行う予定である。
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